小学校以来であろうか、こんなに人に怒鳴られたのは。
 ゴミの収集場所に、福永武彦のスケッチ画集が雑誌と一緒に捨ててある、と思って喜んだのだった。しかし、それは資源回収用のゴミであり、町内会の所有物であったらしい。それを勝手に持っていこうとするのだから、とんでもない奴だ、この旗が見えないのか、云々。やってきた回収の人や自転車の老人に、しつこいくらいに詰(なじ)られてしまった。たしかに、ぼくが悪い。すみません、旗に気がつかなかったのです、と、なんども頭を下げて謝ったのだが、それにしても、ずいぶんくたびれた散歩になってしまった。  


 最近、白山神社の近くで藤の古木を見つけた。ビルの壁面に沿って、巨大な蛸のように枝をのばしている。その枝の来し方を追っていくと、はたして、石材屋の店先に、インドの苦行僧のような腹をした幹があった。腹の部分がぽっかりと抜けていた。乾涸らびた幹は、見るからに痛々しい。それが、ゆうに30メートルはありそうな枝をひろげ、葉を茂らし、たくさんの花房を垂らしているのだ。しばらく、そこを立ち去ることができなかった。 


 藤の古木は、昭和8年に植えられたものらしい。ということは、1934年生まれということになる。もしかしたら、2年後の2月26日早朝の、反乱軍による機銃音を聞いているかもしれない。襲撃された陸軍大将の家の前を、毎日のように通るのだが、鬱蒼とした庭からは、時々うつくしい交響楽が流れてくる。そうすると、自然に足が止まり、じっと耳を澄ましてしまう自分がいる。


 2百年の欅、65年の藤、そろそろ半世紀の自分、と、ぼんやり歳月を思いくらべていると、百年前、五百年前、さらに千年前の時代が、そう遠い昔のことではないような気がしてくる。
 十倍生きたら五百年、百倍生きたら五千年だ。なんとなく、想像できそうではないか。  





Index

Message from Ogikubo 2.25
Message from Ogikubo 2.12
Message from Ogikubo 11.20
Message from Ogikubo 11. 2
Message from Ogikubo 9.16
Message from Ogikubo 8.23
Message from Ogikubo 8. 9
Message from Ogikubo 7.31
Message from Ogikubo 7.24
Message from Ogikubo 7.11
Message from Ogikubo 6.17
Message from Ogikubo 6.11
Message from Ogikubo 5.29
Message from Ogikubo 5.28
Message from Ogikubo 5.20
Message from Ogikubo 5.13
Message from Ogikubo 5. 9
Message from Ogikubo 5. 8
Message from Ogikubo 5. 2
Message from Ogikubo 4.25
Message from Ogikubo 4.12

Back Home