水と夢 その4



 だいぶ遠くまで歩けるようになったとは言え、足首や膝、股関節の具合には、まだまだ不安を覚える。この3年間、ほとんど運動らしいことができなかったのだから、それも致し方ない。それでも、ずいぶん元気になったのではないかと思う。駅から少し離れた処に部屋を借りたのも、正解であった。買物のための往復が、一日の散歩時間(30分)を最低限満たすからである。

 梅雨の中休みというのか、晴天が二日ほど続いた。そんなに暑くはないし、空も結構青い。そこで、きょうは思い切って長めの散歩に出かけることにした。税務署に用事があるので、コースを次の様にする。善福寺川沿いの道→太田黒公園→荻窪税務署。結構あるぞ。大丈夫かいな。

 善福寺川沿いを、水草の写真を撮りながら進む。
 《やがて、たわわに実った枇杷の木が見えるだろう。きょうは、ひとつご馳走していただこうかな》と期待しつつ歩いたのだが、風景から枇杷の木がけずりとられて、ぽっかりと穴が開いたようになっている。いつだったか、老婆ふたりが首を出してお喋りしていた窓も、その古いアパートも、一緒に消えてしまっている……。

 太田黒公園の入口は、さしずめ銀杏の回廊だ。天に向かって真っ直ぐのびた太い幹。煌めく緑の穹窿。荘厳さが感じられる瞬間だ。
 東屋で、ひとりの老人が昼寝をしている。ながい顎髭(あごひげ)がみごとだ。
 おおきな亀が岩の上でじっとして動かない。子亀が2匹、母亀(?)の後ろにぴったりくっついている。
 きょうは何故か、錦鯉の動きが素早い。
 大小の蜻蛉がたくさん水面をとびまわっている。

 税務署への道はさすがに遠かった。帰りに、衛生病院裏手にある児童公園で休憩することにした。
 ここは懐かしい場所だ。二十年前には、このすぐ近くに住んでいたのだから。2本の欅もずいぶん立派になった。親しかった山口蛙鬼が俳句に書いていた、ブランコや、鉄柵も、昔と同じように在る。病院の方から、テニスコートを越えて、低く唸るような機械音が聞こえてくる。何処かで赤ん坊の泣き声もする。ぼくの他、誰もいない児童公園。

 不意に、ぼくの頭を打つものがいる。
 ぎょっとして振り向いたが、誰もいない。頭に触ってみたら、枯れ枝がくっついていた。たった今折れたばかり、といった感じだ。風はほとんど吹いていなかったから、鳥が飛び立った時にでも折れたものだろう。よりによって、ぼくが座っているこの時、この場所に落ちてくるとは。偶然とはいえ、何だか妙な気分になってくる。先ほどから、蛙鬼の俳句を思い出していて、終いの五文字がどうしても思い出せないでいた。その薄情ぶりを、旅先の彼がどこからか見ていて、枯れ枝で叱ったのかも知れない。

 彼の二十年前の俳句である。



   ブランコ軋み地軸のずれを散髪後

   口笛に鉄柵こえて象の形(なり)       山口 蛙鬼






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