桐山襲の『スターバト・マーテル』をやっと写し終えた。 原稿用紙にして僅か七、八十枚の短い作品だが、一日だいたい二、三頁の割合で、味わうようにして写しとった。彼の小説は、現在ほとんどが絶版になっているので、読むためには図書館を利用するより方法がない。『スターバト・マーテル』はその図書館にもなかったのだが、名古屋の加藤さんが親切にも貸出しを申し出てくれたのだった。 加藤さんには、心からお礼を申し上げます。 十月の十六日で、荻窪に戻ってからちょうど1年が経ったことになる。 去年の春、永年棲んでいた南荻窪の部屋を引き払い、郷里の鹿角に帰ったのだった。半年間、三つの季節を実家の二階で過ごしたのだが、北側にひらかれた二面の窓からの陰翳は、思いがけなくもつよい心像として記憶に残っている。 北西の山稜から吹き下ろす冷たい春風、刻々と変貌する空、老婆の背のような暗い畑地、身を寄せあうようにしてこちらを窺っていたヒメオドリコ草などが、風邪をひいてついに入院してしまった南津軽の風景へと連なっていく。 『Aurora』の最後の頁にあるイメージは、入院した療養所の廊下を撮ったものなのだが、両側の窓から漆黒の闇を見つめるたびに、《まるで、惑星ソラリスの、あの宇宙船のようではないか!》と思ったものだった。 (ぼくは、宇宙船の一室に閉じ込められている半死の病人のようだ)──北の空港から、南へ向かって飛び立った最終便の飛行灯を遠く見送りながら、諦観に似たさびしさを感じていたのだった。…… 郷里での夏は、僅かに煌めくようにして去って行った。堤のうえの匂い溢れる香草、畦道で纏いつく蜻蛉の感触、葛の花のあざやかな紫、透明な光の中で膨らんでいく稲穂といった、甘美な余韻とともに。風の穏やかな季節の田園は、人目をさけるように暮らしている自分にとって、唯一やすらぎの場所と言ってよかった。そこには農夫の姿も見えず、犬を連れた老人がたまに通りすぎるだけで、誰とも口をきく必要がなかった。 今でも、決まったように夢に現れてくる幾つかの風景がある。それは、朽ち果てんとする桜桃の古木のある庭や、田畝の間を光りながら緩やかに蛇行する米代川、そして、南北にまっすぐ伸びている道の遥か上空から俯瞰する村の風景だったりする。さらに奇妙なことには、その暗い風景の所々に、ざわめく街の欠片や友人知人の姿が散りばめられていたりするのだった。 郷里の冬は永い。その冬が到来する前に荻窪へ戻って来たのだが、やっと見つけた窮屈な部屋も、耐え難い郷里の冬の逼塞感を思えば恵まれた避難場所と言えた。それに、これまで二十年以上も荻窪に棲み続けてきたのだから、もう一つのふるさとに帰って来たのだという思いもあった。もっとも、ほとんどの土地が人工的な物質で覆われている分だけ、それはかなり心許ない感覚であるかも知れないのだが。 『荻窪便り』をはじめた二年前から、ふたたび旧い一眼レフで風景を撮るようになった。風景とは言っても、風に波立つ水面や、水草のバイカモ、暗い境内の水たまりなど、とるにたらない物が中心である。 実は先月、紅葉を撮るために十日ほど郷里に帰っていたのだが、雨の日が多く、レコードや書籍の整理が主になってしまった。また以前から、花咲くブナ原生林を撮る夢を見つづけているのだが、これは少なくとも来春までは実現不可能である。 |