水と夢 その5



 絵や写真のなかに、自分とそっくりな姿を発見し、とても驚いたことが2度ある。
 最初は、ある日本人写真家が撮ったモノクロームで、インドの大都市ボンベイの街頭に蹲っている、ひとりの男の顔だった。ここに、なぜ自分が? ぼくはインドには行ったことがないはずだ。正常な思考と判断が、一瞬ふっとんでしまった。撮影年月日を確かめると、198X年とある。大丈夫だ。ぼくではない。この頃は、朝から晩まで働いていて、インドを放浪することなど絶体に考えられない。しかし、無理に落ち着こうとする時に限って、誰かが怖しい演出をしたかのように空気が一変する。写真集をひろげていた喫茶店の(邪宗門という名であったが)、時計という時計が、ぼおーんじーん、じーんぼーんと一斉に響きわたったのだ。ぼくの頭は、またもや瞬間パニックになった。確かに、この世には不可解なこと、悪夢としか思えないようなことが存在する。何が現実で、何が夢なのか。その閾は誰にもはっきり見えない。だから、もしかしたらぼくは忘れているのかも知れない。日本でぼくが眠っている間に、もうひとりのぼくがインドの街を歩いていたということを......... 。
 しかし、時間が経ち、血液の流れが正常になってくるにしたがって、意識の層もはっきりしてくる。

 2度目はつい最近である。こんどのは、最初の体験と違い、とてもかわいらしいぼくの姿だ。加藤JUNさんの作品で、Seedmanという絵だ。
 おそらく、生まれて間もない頃の記憶だと思うのだが、ぼくは揺籃(郷里ではEntukoと呼ぶ)のなかにいて、遠くの、眩い光を限る扉を見つめていた。その光の入口から、ぬーと巨大が影が近づいてきて、ぼくの目の前で踊りはじめた。何物か分からない。ただ、揺籃に守られ、闇と光の間にいた自分の記憶だけが、はっきり脳裏に焼き付いている。
 加藤さんの生み出したSeedmanが、あの揺籃のなかにいた生命と同じものだと思うと、そうか、生きているとちゃんと実るんだな、と嬉しくなってしまう。


 加藤JUNさんの頁の紹介です。
 ( www.asahi-net.or.jp/~AD2J-KTU/ )

 《水滴の様な形が、なぜか好き》と彼は言う。Dream seedという作品のあとがきには、《人の頭の中に棲み、時々種を蒔き・・》とある。彼の作品を見ていると、ぼくらの中にあらかじめ蒔かれていた種子が、彼の夢の中で育てられ、変にここちよく、妙にたのしい形になって贈られてきたように思える。
 「透命草」「Sleeping for help」「Karin」など、息をすることを忘れて見入ってしまう作品ばかりだ。
 また、紙粘土とアクリルの作品も絶品。
 映画好きの人には、独善的映画評もぜひお薦めしたい。






Index

Message from Ogikubo 6.17
Message from Ogikubo 6.11
Message from Ogikubo 5.29
Message from Ogikubo 5.28
Message from Ogikubo 5.20
Message from Ogikubo 5.13
Message from Ogikubo 5. 9
Message from Ogikubo 5. 8
Message from Ogikubo 5. 2
Message from Ogikubo 4.25
Message from Ogikubo 4.12


Back Home