トリニティから53年と24日、 広島から53年と3日、長崎から53年目。


 いつか、広島と沖縄だけは行ってみたい。そう思いつづけてきた。
 その「いつか」が、今年はじめて無くなった。

 簡単に移動できない身になってからそう思うというのも、なんだかずきずきと差し込まれる痛みがあるが、最近、これも少しは受けとめられるようになってきた。Bachのカンタータで、「わたしはふりかえりつつ歩む」という曲があったと記憶するが、二十代のはじめ、壊れかかったラジオから聴いたこの曲の名が、途方に暮れたときにはいつも甦ってきてくれた。

 これまで、人前での政治的な発言は極力避けてきた。今でもその気持ちはつよい。なぜそうなのか考えてみると、幼少の頃からの人間不信にその根っこがあるような気がする。
 学生だった頃、クラスの政治討論で一度だけ発言したことがある。それは「ヒロシマ」にふれたものであったが、感情が昂ぶりすぎたのか、数人の冷笑をかってしまった。あまりの屈辱感で、涙が止まらなかった。戦争の悲惨さの象徴として「ヒロシマ」を言いたかったのだが、結果的にはただ項垂れて立っていたのにすぎなかった。

 「風のクロニカル」という小説のなかに、『語れない石』という存在が何度も出てくる。ぼくはこの小説を幾重にも自分の記憶と重ね合わせて読んでいたのだが、『語れない』ということばと、『石』ということばの間には、特別な意味が存在しているように思えた。
 〈語ラナイコトヲ意志スルモノ〉と〈語ラレルコトヲ拒否スルモノ〉。
 はたして、この両者と対峙しながら生きていくことは可能なのだろうか。

 イヤ、表現シヨウトスル者ニトッテハ、対峙スルコトガ証ナノダ。

 どこからか、そんな声が聞こえてくる。





 

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