二十歳を過ぎて間もない頃、住んでいたアパートの近くで古いトランジスタラジオを拾ったことがある。それは雨に濡れた不燃物のゴミの中で、ぽつんと一つだけ輝いて見えていたのだった。裏蓋をあけてみると、電源部分の配線が一本はずれていて、はたして、電極部分に裸線をまきつけただけで、ちゃんと音楽放送が聴けるようになったのだった。 その頃のぼくは友人から貰った毛布一枚の生活だったから、部屋で音楽が聴けるというのは最高の贅沢だった。勿論、70年代初めは似たような人間がたくさんいたし、ぼくもその数カ月前まではちゃんとした部屋に住んでいたのだ。街のあちこちで自己否定とか解放とか叫ばれていたから、今までの荷物をきれいさっぱり捨て去ろうとした人たちが多かった。みんな同じ様な生活をしていたせいか、すぐ仲良くなれたし、お金のない日があっても何とか暮らしていくことができた。 取っ手がとれてはいても、音楽を聴くには何ら差し障りがない。古いトランジスタラジオは、FM放送の名曲番組になると、いよいよ銀色のマスクが輝いて見えた。 最初に聴いた曲として今も記憶に残っているのは、マーラーの交響曲2番だ。トランジスタラジオ特有の微かな雨音の向こうから、波のようにうねりながら伝わってくる調べは、深く心にうったえるものがあった。後にレコードを買えるようになったとき最初に求めたのもこの曲だったから、ぼくにとっては記念すべき曲であったと思う。 もうひとつ、このラジオで聴いて忘れられない曲がある。それはドイツのベルント・アロイス・ツィンマーマンの「トラット」という、わずか数分の電子音楽の曲である。その曲を聴いていると、目の前の空間の一点から飲み込まれ、宇宙空間と一体となったような気がした。その体験につよい衝撃を感じたのを覚えている。 Wergoレーベル から出ていたこのレコードを、再生装置さえ持っていないのに探し歩いたのだった。今でもこのレコードは、ぼくの大事な宝物となってる。残念ながらこの作曲家は、セーヌ川で投身自殺をしている。ちょうどその頃に読んでいた詩人ポール・ツェランも、彼と同じ方法で命を絶っている。 ところで、あのトランジスタラジオはどうしたのだろうか。誰かにあげたのだろうか。いくら記憶を辿ろうとしても、何処かで見えなくなってしまう。それでも、捨てるはずはないと思い続けていると、だんだん霧が薄れてきて、その向こうにせっせと曼陀羅を描いていた男の姿が浮かんでくる。そのうちに、彼にあげたような気がしてくるから不思議だ。 |
Message from Ogikubo 5. 8 Message from Ogikubo 5. 2 Message from Ogikubo 4.25 Message from Ogikubo 4.12 |