《コノビルノ屋上ニ閉ジ込メラレテイマス。誰カ助ケテクダサイ》 こう書かれた紙片が4つに折りたたまれ、地下鉄の階段の排水溝におちていたのだった。 病院のある地下鉄の階段を、右手に鞄、左腕に酸素ボンベのキャリーを抱えながら、ゆっくり昇っているときだった。その白い紙片は、緊急を告げるある種類の信号を微かに発していたのかも知れない。自分の中で何かが反応したことを意識した時には、すでにぼくの両手は拾い上げた紙片を開いていた。メモは学生が使うような原稿用紙に鉛筆で書かれていた。整った、しっかりとした字であった。 風のつよい日だった。地下鉄から通りに出ると、街路樹がはげしく揺れていて、歩行者の足元を音をたてて、木の葉や紙屑が転がっていった。 救いを求めるこのメモも、近くの路上から地下鉄の連絡口へと風に吹き込まれたのだろう。 ぼくは通りの反対側から、地下鉄連絡口付近のビルの屋上を見渡してみた。しかし、7、8階止まりの建物の並びからは、不審な気配は何ら感じられない。 交番へ届けようか、とも考えたが、いろいろ訊かれたりするのは面倒だった。ぼくの悪戯ともとられかねない。それに、外来の予約時間が迫っていた。 このメモに身元を確認できるもの、例えば電話番号と名前が書かれてあれば、と思った。そうすれば、徒に迷うことなく、《真実》かどうかを警察で確認をとって貰えただろう。 結局、ぼくはそのまま交差点を去り、病院へと向かったのだった。 そして、ぼくの中には一種の罪悪感が残ることになってしまった。 それから2カ月後、次のような記事が目をひいた。 『1枚のファクスが、ルワンダで1994年に起きた大量虐殺を事前に警告していた。ところが、当時の国連平和維持活動(PKO)の責任者だったアナン国連事務総長が無視し、50万人を超える虐殺を放置してしまったのではないか――米誌ニューヨーカーの最新号』 この記事と、ぼくが拾ったメモが、一体どういう関連性があるのか説明することは難しい。ルワンダにおける虐殺は事実であるが、ぼくの拾ったメモは、時々思い出したように曖昧な意味の波紋を投げかけてくるのに過ぎない。 それでも、あのメモを風に託した人間がいたことは事実だ。 |
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