1998. 8.23  水と夢 その9


太田黒公園の東屋。かわいらしい亀が、ときどき水面から顔を覗かせている。最近、昼寝をしている老人を見かけないが、まさか亀に‥‥‥。そんなわけないか。


 荻窪ルミネの書店まで、注文しておいた本を受け取りに行く。
 木村肥佐生『チベット潜行十年』(中公文庫)と、桐山襲『戯曲 風のクロニカル』(冬芽社)、それに桐山襲編『国鉄を殺すな』(冬芽社)の3冊。
 それから、秋山駿の『舗石の思想』を注文する。

「私は空虚な人間である。だから私は私の空虚を輝かそうと思う。‥‥‥つまり、生の空虚さとか存在の希薄さとかを輝かすのだ」

 増田みず子が『新潮』9月号掲載の「火夜」という小説のなかで、『舗石の思想』をとりあげていた。
 彼女を支えてきたという言葉に、ぼくも触れてみたいと思う。


 立秋を過ぎてだいぶ経つが、この頃になると、思い出す風景がふたつある。
 ぼくの郷里は「みちのおく」というくらいだから、山脈(やまなみ)を幾つも越えた所にある。米代川をはさんで、丘陵と千メートルに満たない山々が南北に連なっている。山上から見れば、盆地全体はあたかも女性の陰(ほと)のようにも映る。すくなくとも、ぼくはそう感じてきた。
 盆地であるから、空がせまい。日が暮れるのがとても早い。立秋を過ぎると、日がどんどん短くなっていくのが分かる。風景も一変する。しかも、夏休みはもう幾日も残っていない。小学生のぼくは、堤のうえから夕焼けを眺めていると、なんとも言えぬさびしさでいっぱいになったものだ。

 雄物川河口の段丘から眺める夕焼け、これもよく思い出す。
 製紙工場の排水で、水は薄黒く汚れていた。その水が大量に海へ注ぐのだから、当然海の色も暗かった。沖には海底油田を発掘する船がいつも浮かんでいた。

 それでも、夕焼けはすばらしかった。
 ハマナスの花の色や匂いが好きだったし、果実の色や甘酸っぱい味も忘れられない。

 上京して間もない頃、出会った女の子によく訊いたものだ。
 夕焼けと、朝焼けと、どっちが好き?

 最近はすこし大人になったせいか、「薄暮がすき」などと言われると、途端に恋心でみたされてしまう。
 






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