7日はジュリコンです。

でもその前に行きたいところがあったのでジュリ友真澄ちゃんに付き合ってもらいました。
渡辺プロ50周年記念展やってるんです。
待ち合わせは丸の内ビル3階、何をどう勘違いしたのか、
丸の内オアゾに行ってしまいました。

3年前丸ビル出来立ての時にも行ったし、新丸ビルだったかな、
おととしのクリスマスも丸ビル通ったのにすっかり忘れてしまいました。

この辺のビルはすべて○○○丸の内ビルなんだ。
入ってすぐエスカレーターがあり雰囲気が似ているって思いません??
我ながらこの間違いは謎だ!
何かが起こる序曲か??


携帯があるから勘違いも簡単解決、すぐ丸ビルに直行(携帯ってほんとに便利です)しました。



これからぼちぼち思い出しながら追加します。


ジュリーはまあ私にとって身内みたいなもので思いっきり贔屓目ですから
何なんですが・・・。最初に知らない曲2曲はノリが悪かったです。
今年のCDからの選曲で続けて歌うから???
でもね懐かしい曲が聴けて感激です。ジュリーは持曲が半端じゃなく多いから
わたしの好みの曲を歌ってくれると、ほんとに嬉しくなります。

思いがけなく青春の1曲を歌ってくれました。
勝手にしやがれ以降の「阿久悠」作詞のヒット曲よりそれ以前の曲のほうが好きです。
あとテレビに出なくなってからの曲「架空のオペラ」くらいのとか
要するにバラードが好きなんですね。歌詞も「安井かづみ」のほうが好きです。
ってどうでもいいですかね・・・。

3月2日
久世光彦さんが亡くなった。ショックである。
3月7日、明日のお葬式、私は喪服を着ようと思う。

久世さんはジュリーフアンが喜ぶ沢田研二の魅力を引き出してくれた人。
1975年『悪魔のようなあいつ』というテレビドラマを覚えていますか?
その当時TBSの売れっ子プロデューサーだった彼は、
TBSと渡辺プロダクションにジュリーが主演のドラマを作りたいと熱い企画書を提出し、
本当に自分の作りたい番組を作った。それが三億円事件の犯人役「可門良」
巷では「寺内貫太郎一家」とか「時間ですよ」の方が有名ですが。

以前ネットで掲載されている企画書を見つけ狂喜乱舞して読みました。、
まるでジュリーに対するラブレターでした。
あの当時久世さんはジュリーにぞっこんで、気恥ずかしくなるくらい率直に
ジュリーのことを好きだと公言していました。
勝手にしやがれでレコード大賞をとった時、ステージの横でジュリーを待ち構え
おめでとうのハグをして、このときとばかりに唇にキスをしたらしい。

雑誌や新聞などに掲載されるジュリーへの賞賛の言葉はフアンの私にとっては
きらきら輝く宝石だった。ジュリーの美しさを讃える久世さんの文章を読むのが大好きだった。

2000年になり私はジュリーフアンに復活した。
いろいろネットで検索して
久世さんの思いが現在まで続いているのを知った。

久世さんが小説を書いている事も知らなかったし、
TBSで向田邦子の番組を継続して作っていることも知らなかった。
(秋田県はTBS系のテレビ番組か放送されない全国でも珍しい県である。)

田中裕子がジュリーと付き合いだしてから、毎年のように久世さんのドラマに出ている。
どうしてかって??・・・久世さんのジュリーへの関わり方が見えてくる。
彼のジュリーへの思いが感じられてなんだか泣けてくる。
憶測ですが一時期ジュリーは久世さんから引いていた時があったのかもしれない。

『一九三四年冬――乱歩』
美貌の中国人はジュリーがモデル。ジュリーフアンならよく解る描写。
美しい笑顔、白い歯、小さな足、親しい人との付き合い方の距離感、

その青年がつけていた香りがヘリオトロープ、どんな香りなのか興味があった
昭和の初期にはやった香り、ヘリオトロープは6月25日の誕生花
もう、久世さんったら、ジュリーの誕生日じゃないの、フアンにはバレバレ。

『逃げ水半次無用帖』
半次はジュリーそのもの、久世さんが近づくと、スーっと引いていくジュリーとの距離感が見えてくる。
母親を思って涙を流すジュリー・・・などなど、久世さんの描写は脳内でジュリーに変換できるのだ。

未だ読んでいない小説がたくさん在る。
他にも何か隠されたジュリーを見つけることが出来るかもしれない。
でもこれ以上は無理なのが残念だ。

耽美な文章はすばらしいし、この世界観は私は大好き、
久世さんの思いは昔からのジュリーフアンとリンクする。
久世さん自身も何かの機会にそのように言っている。
どういうやり取りがあったか知らないが(ジュリーに関するファンレターか?)
直接久世さんからお手紙をもらったジュリーフアンもいるそうです。


昨年までの5年間ジュリーと久世さんは昭和の喜劇の舞台を作った。
久しぶりのコンビ復活である。
第1作目の時に私の後ろの席で久世さんは舞台を見つめていた。
「いつかバスコダガマのように」藤山直美さんと共演
直美さんとの共演はジュリーにとってとっても良かったお芝居の世界を広げた。
桂春団治や夫婦善哉につながりました。久世さんいわく金脈を掘り当てた。

2作目から4作目はあまり好きなタイプの芝居ではなかったが、
最後の「センセイの鞄」はいい作品だと思った。

センセイの役をジュリーが演じたがその役の年齢が69歳だった。
13歳年上を演じたのだが・・・久世さんの年齢だ。
久世さんの年齢には興味がなかった・・・亡くなって気がついた。
センセイと恋愛をする女性は35歳坂井真紀さんが演じた。

最後の場面は、センセイが亡くなり、真紀ちゃんが号泣する演出でした。
小説ではそんなに泣いていない。久世さんのオリジナル演出はすごかった。
本当に号泣です。真紀ちゃん喉がつぶれてしまうよってくらいの号泣。
本当にジュリーが死んだら「私もきっと泣くよなあ」って思わせる。

映画「宇宙船艦ヤマト」でエンディングの歌が流れて涙した子供達と同じような感情移入です。

実際、お芝居を見ていて私はボロボロ泣きました。


でも、亡くなったのはジュリーじゃなくて久世さんだった。

ただ、最後の晩餐が大好きなジュリーと一緒だったことは久世さんにとって何よりの
神様からのプレゼントだったと思う。