1997. 4. 5

 新・荻窪便り No.19



 ぼくは苔の明るい緑が好きだ。 その、天鵞絨のような記憶を辿っていくと、幼い頃の庭が見えてくる。 辺境といえる土地の、重く、湿った屋根の下。 家のどの戸を開けても、陽の光は届かなかったような気がする。 暗闇の向こうに輝く、小さな戸口。 大きな桜桃の木の下で、祖父が馬の毛を梳いていた。 萌える苔が縁取る庭先には、梅や柿の木、それに桐の木など。 桐の木は、女の子が生まれたときに植えられる。 男ばかりの兄弟に何故? と疑問を持たなかったのが不思議だ。 池のそばには菖蒲が群れ、葡萄の木があり、コスモスがたくさん揺れていた。 熟した果実の核を割ると、指の先で何かが弾けて濡れた。 どうしたのだろうか、こんなにたくさんの花が見えてくるなんて。





 この写真は、善福寺池のボート乗り場近くで撮ったものである。 明るい緑の苔が、桂の樹皮を被っていた。 うっとりと眺め、指先で軽く触れてみる。 この柔らかく湿った冷たさは、身体の何処かで記憶しているものだ。 それこそ、遥かに遠い日のこと。 
 しかし、その日以来何度もこの木を訪ねたが、再びこの苔が輝いているのに出会っていない。 何故か、いつも黒ずんでいた。 ぼんやりしていると、苔のもつ必然と偶然、ぼくのもつ必然と偶然が、一瞬何処かで交わったのかしら、とたわいもないことを思ったりもする。



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