1997. 4.24 新・荻窪便り No.20
春という季節を、北に600キロ。 僅か7、8時間の走行で、ひと月分の時間を遡ったことになる。 北上するに従って、両側の風景から淡い春の色が失せていくのがよく分かった。 道の奥。 世阿弥が『錦木』の冒頭で書いていたように、これから「隔てられた」世界に行くのだ。 にぶい灰色の稜線から上は、仄かな光が滲んでいて、異次元への歪んだ入り口のように映った。 運転する友人に語りかけると、彼も頷き返す。 彼の血の中にも、北の湿原の記憶が濃く受け継がれているのだ。 ぼくは故郷に帰って行くのではない。 別の世界に移りつつあるのだ、という気がしていた。
米代川
同じ年に生まれ、お互いの産声をあげた所は10歩と離れていない。 ぼくらが上京した年。 人生が、新しい時間を刻み始めた年。 自分のための四肢を意識し、幾層もの時間の流れを持ちはじめた年。 自分という人間に、名前を与えた年。 光と闇が渾然と溶け合う瞬間に、悦びを感じた最初の年。 しかし、帰省列車の空間が、故郷に近づくにしたがって捻れていくような不安を覚えたのは、何故だろうか。 療養中のぼくを見舞ってくれた彼も、同じ様なことを言っていた。 手足が、言葉が、昏い意志のようなものと結びついて、自由がきかなくなっていく。 胎児への逆行のイメージだ。 北上する列車も、ハイウェイも、異次元の空間と時間が混淆しているのだろう。 その深淵を覗き込んでいると、首根っこを掴まれ、何処かへ連れて行かれそうな眩暈を覚える。
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