1997. 3.13


 新・荻窪便り No.16



 啓蟄のあたりから、体調が少し狂いはじめたようだ。
 春先の気候が、思いのほかこたえる。

 「わたしは老いた雑草だ。刈られても、刈られても、頭をもたげる」

 映画『ライムライト』のことばである。
 勿論、ぼくは老いてなどいない。 しかし、ほかの名句よりも、この方が今の心境に合っているのだろう。 実は、自分自身でも驚いているくらいだ。

 以前、ある夢について語ったことがある。 夢の内容を、自分で組み替えたりするということ。 ぼくは今、その必要性をつよく感じている。

 夢は一種のバランサーではないだろうか。
 心身が均衡を維持できない状況に陥ったときの、さまざまなシグナル。 無意識の深層部からだけではなく、意識的な部分からもつくられるもの。
 意味づけ? 必要ない。 ただ選択するだけだ。
 苦痛を取り除くために。

 しかし、面白い。 同じスクリーンを見ていても、ひとり、ひとり、心に残るものが違う。 あたりまえのことが、なんでこんなに興味深いのか。 そして、なぜ誰かに聞いて貰いたくなるのだろう。



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