1997. 2. 3
新・荻窪便り NO.14
3日後に目が覚めたとき、ぼくの上は集中治療室の天井であった。その間、ぼくは何処を浮遊していたのだろう。最後に眺めていたのは、遠のいていく地球、いや、闇の奥に帰っていこうとするぼく自身だったかもしれない。
四角い扉のある天井と、同じように四角いベットのぼくは、位置関係が始終反転した。つまり、ぼくの下に天井があったり、墓標のようにもうつったのである。
一番最初に浮かんだことば。それは、ぼくが初めて欲した、「自分の子」という呻きだった。
そして、不眠の一週間の半分を、「初めての子」の名を付けることで生き延びることができた。
あとの時間は、妄想の扉から出てくる、「炎の虎」との戦いだったような気がする。
鼻腔から気管支へとカテーテルが入り、声は出ない。すぐ目の前に見えているのに、世界はカプセルの外だ。
こちらからの発信手段は、コールボタンか執拗な目線。あちこちで、看護婦が問いかけている。
「お名前は」? 「お子さんは何人」? 「お幾つ」? 「奥さんはいるの」? ・・・
なるほど、これは「天上からの糸」ならぬ、地上からの呼び戻しのサインだな。
若い看護婦が、「洗浄」を楽しんでいる。
薄紅色の蓮の花が開いて、悦びのうずきが、遠い、遠いところからゆっくりと伝わってくる。
消毒液のひと濡らしが、水紋のように此岸にとどくまでには、あらかた幻になっている ・・・ 。
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