1997. 1. 6
新・荻窪便り No.11
1997年という新しい年を迎えた。いくつかの夢の余韻のなかで、ぼんやりと横になっている時間が多い。
整理中の書籍から数冊枕元に持っていき、数頁読んでは疲れて目をつむり、朦朧としたながい状態の後ではっと目を開ける。そんな繰り返しの数日である。
暮れに食料品は揃えておいた。お節も近くの割烹料理屋につくって貰った。毎日餅を焼いたり、雑煮にしたり、美味しくいただいた。
2日、近くに住む船坂氏が娘さんと一緒に来てくれた。おませで、素敵な十一歳。生まれたばかりの彼女も本当にかわいかった。彼の紹介で、王家衛(wong
kar-wai)監督の映画を2本観る。
4日は、大山、倉橋両氏と、室野井女史が午後から来てくれた。彼女は今春訪欧するらしい。彼女の舞踏が広く世界に認められることを願っている。以前、天沼陸橋下の離れで彼らと過ごした時間が、こうして今も生きている。つくづく幸運だと思う。
そして今、いくつかの夢の中のひとつに、ぼくはつよく惹かれている。
乳母車が落ちていく、あの、石の階段を覚えているだろうか?「戦艦ポチョムキン」のワンシーン。この石の階段を想像していただきたい。
紙袋を持った中年男が階段の上で、「倒れる」ことを予知する。そこで、彼は倒れる前に尻餅をついた。被害が少ないと直感したのですね。衝撃とともに石段を滑り降りるが、あと4、5メートルの所で脇から地表にたたきつけられてしまった。すると何処かで見ていたかのように、3人の女性が駆け寄ってきたのである。肉体の苦痛を感じる前に、女性たちの突然の出現に彼は驚いていた。右側の女性が彼、いや、ぼくと言い直しましょう、ぼくを助け起こし、ぴったりと寄り添ってくれる。彼女と視線が合う。彼女の存在感がふかい安堵を与えてくれる。彼女がぼくの腕をとる。ぼくはその手をやさしく包む.......。
ぼくは夢分析はあまりしないようにしている。とはいっても、夢の記憶にふかくひきずられ、苦しい思いをするときは多い。最近のぼくは、夢を資料と考えようとしている。それを組みかえたり、不要なところを無視したりして、あたらしい自分の像を描くのである。ひとつの夢にあまり拘らないようにする、と言った方が正確かもしれない。夢の中の3人の女性。それに、過去、現在、未来と意味づけをしてみたい誘惑にかられる。勿論、ぼくの腕をとってくれているのが、未来の女性である。
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