SOL Y SOMBRA (ハエン、ウベダ、コルドバ)
グラナダからハエンまでの道から見える山並は、どれも皆登ってみたいと思わされる魅力的な山であり、道路を挟むオリ−ブ畑は、赤土の丘に綺麗に並べられた緑の木と青空という、実にバスでなかったらいきなりブレ−キを踏んで、写真とビデオと絵と全部次から次と、取っ替え引っ替え回し捲ってしまいそうな風景であり、しかしバスの窓からでも、ビデオ位なら撮れそうなものだけど、僕はもうビデオのことも忘れて、左の窓から右の窓とキョロキョロしっぱなしだったのだ。そして遠くに見えたハエンの街並も、岩肌の山を背に、小高い丘の上の城塞(今はパラド−ルと呼ばれる公共宿泊施設)があって、その下に白い壁の家並みが取り巻いているという、まさしくアンダルシア的風景で佇んでいて、僕を迎えてくれたのだった。そして思ってたより随分大きいバスタ−ミナルにバスは入って行き、僕はタ−ミナル内のBarで取りあえずBeerにした。あの女の人が言うには、タ−ミナルと同じ建物にオテルがあって、そこは一日3000ptsだと言っていた。なるほど左の方にオテルの入り口が見える。しかし他の宿はかなり遠いと言っていた。僕はBarのカウンタ−のオジサンに聞いてみた。「ペンシオンは何処にあるんですか?」宿にもいろんな種類があって、オテル、オスタル、ペンシオン、フォンダ、カマス、オスタルも少し気取るとオテルと変わらぬ、あるいはそれ以上の料金を取ろうとするところもあるので、大体安い宿を紹介してもらいたいときは、ペンシオンと言っておけば間違いないのだ。そしたら「前の通りを真っ直登って8番にあるよ」なんて番地まで教えてくれて、行ってみるとバス駅から80m位であり、後で街を探索して見付けたオスタルも200m位のものであり、ちょっとガイドブックを作っている人にしては、リサ−チが行き届いて無いのではないかと思ったのだが、オスタルとかペンシオンは最初から相手にされていないのだなと、はたと気付いたのだ。オテルの5つ星か4つ星でなければああいうガイドブックには紹介しないし、そういうオテルの無い街は、イコ−ルつまらない街ということになるのかも知れない。しかしハエンのカテドラルはグラナダのと同じ位大きいし、正面前の広場も、グラナダのそれの様に建物に挟まれた小さなものではなく、堂々とカテドラルの正面を受け止めていたし、パラド−ルの建っているも、実に何と言ったらいいのか、今まで見てきたスペインの空の中で一番濃い色の青空をバックに立つ岩肌の丘と、金色に輝く草に間隔を取って並ぶオリ−ブの木という、思わず万歳三唱してしまいそうな風景であり、ピンと来た六感の通り実にイイ所で、風景ばかりでなく、宿から50m位行った所にはBarが5,6軒固まってあって、夜ともなると大変な賑わいとなり、別にここのBarの周辺だけでなく、陽が沈むと皆お出掛け姿で出てきて、街中が大変な賑わいとなるわけで、そのBarは、ビ−ルとセットのタパスに今ガンバス(エビ)が付いて80pts、なんて表の黒板に書いてあったりして、僕はヨッシャヨッシャなんて思ってついつい梯子してしまうのだけど、その晩何処かのBarのエビが悪かったらしく、下痢をしてしまって、しかし次の日の夜またいそいそと、エビを食べにそのBar群へ出掛けて行き、”腹壊し それでも食いたし ガンバかな”なんて川柳も出来て、ヨッシャヨッシャ続きのハエンなのだった。そしてハエンから北東に60km位の所にウベダという街があるのだけど、あの彼女に聞いたら恐らく、とんでもない所だと言うだろうなと思える街へ行ったのだ。ガイドブックに載ってない小さな街に着いたら、Barのオジサンか売店のオッサンに宿を紹介してもらうのが一番手っ取り早く、ウベダでも売店のオッサンに聞くと、チョット待てというので荷物を降ろして待っていると、恐らく知り合いなのだろう、宿屋の主人が現われて、僕を車で宿まで連れていってくれて、1泊1000pts、後で街を探索してもオスタルは何軒かあったけど、オテルはパラド−ルの他は見当たらなかったのだ。しかし何軒もある小さな教会といい、町の外れから眺めるオリ−ブ畑の延々と続く風景といい、パラド−ルの中のBarの静かな雰囲気といい、かなり魅力のある街だと思うのだが、どうなのだろう。確かに普通の旅行で来る人達というのは、1週間から2週間の期間で回るのだから、しかもその期間でスペインだけでなく、フランス,イギリス,イタリアなどを回って帰るツア−客もいるのだろうから、こういった小さな街はたとえ紹介しても、訪れる時間の余裕のある人というのは、ほとんど居ないのだろうと思う。しかしスペインのイメ−ジとして皆持っている、アンダルシアの白壁の家並みが小高い丘に、教会を中心として広がる街というものは、決まって小さな街であり、白い壁の家並みだけなら大きな街でも見れるが、この小高い丘を埋めて建つというところが、重要な条件であるように思う。だから時間が無いからといって、大きな街だけを回って帰ってしまうのは、片手落ちであると僕は思うのだが、ガイドブックにはその白壁の小さな街の写真だけは大きく載せてあったりするのだから、随分だなと思ったりする。

さて、ウベダを離れてコルドバに着く。ここでもタ−ミナルの隣のBarに入って、ボカディジョを食べながらカウンタ−のオジサンに宿を聞く。隣がそうだと言う。荷物を担いで階段を上り聞いてみる。シングルが埋まっていて、ツインで2000ptsだと言う。ノ−グラシアスだ。大きい街なのだから宿も多いだろうと、街をウロウロする。看板を見付けて階段を上る。4階の受付まで荷物を担いで上ると、息が切れてしまった。ハアハア言いながら部屋はあるかと問う。シングル1日1300pts。まぁそんなところだろうと荷物を降ろす。ここコルドバは、スペインのフライパンと呼ばれているらしく、日中の気温はどんどん上がって40゜C近くにまでなり、恐らく7月とか8月は40゜Cを越えるのだろうと思えた。夜になってもその暑さはなかなか引かず、特に宿の部屋などは、窓は開けてても風が無いものだから、ムワ〜と熱帯夜であり、朝方近くまで眠れない日々となってしまった。昼近くまで寝て外へ出ると、30分もしない内に顔面を汗が流れ、1時間もせぬ内にバンダナは汗を吸い取らなくなり、Barに入ってBeerを飲み、汗が引いた頃に外へ出て、30分もすると再びBarへ入ってBeerを飲む。コルドバに滞在中は、ほとんどその繰り返しになってしまったのだった。そのBar巡りの中の1軒では、多分アルバイトであろう若い女の人が、マスタ−と2人で小さなカウンタ−の中で働いており、僕はこの時軽い日射病的に少しフラついてこのBarに入り、Beerを2杯長い時間を掛けて飲みながら、忙しく働く彼女や、入れ替わりやって来る客達を、ボ−と眺めていたのだ。少し鼻に掛かった様な話し方の彼女は、20歳前のようにもあるいは20代後半のようにも見え、しかしスペインの女性の20代後半というものは、早くも老いが始まったと分かる体型の崩れがはっきり見えてくる人が多いらしく、彼女が手を延ばして棚の上の物を取る時などに、短めのシャツから時折見える横腹や腰は、余分な脂肪など全く無い綺麗な曲線であり、それから察すると、20歳前後2歳位のところではないかと思う。そして恐らく、その彼女目当てであろう若い男が一人、このBarに入ったり出たりを繰り返しているのだった。彼はビ−ルを一杯頼み、一口飲んでは何か彼女に話し掛け、彼女はウンウンと聞いていて、しかしそのウンウンは、適当にあしらってるのか興味を持って聞いているのか、判断しかねるウンウンであり、そこがまた彼女の魅力になって

いるのだろうと思えた。ビールが空になった彼は、アスタルエゴと言って外へ出ていく。しかし何処かに行ってしまうわけでなく、                     Barの前の広場でウロウロしながら、誰か知り合いが来るのを待っていて、「やぁアントニオBarへ行くのか?ヨシ俺も行く」なんて感じでアントニオの肩を叩き、再びBarへ入ってきてビールを頼み、アントニオは連れの彼女と話し込んでいて、彼はカウンターの女の子に話し掛ける。そんなふうにして、僕がそのBarに居る間、彼は3回出て3回戻って来たのだった。3回目の頃には店の忙しさもピークを過ぎ、彼女は自分の昼飯用にボカディジョトルティーヤを作り、ずっと見続けている僕にエヘヘなんて笑ったりしながら、カウンターの外に出て来て、椅子を僕の隣に持って来て座り、ボカディジョを食べ始めたのだった。僕の隣というのは、つまりはカウンターの一番端であり、しかし彼と彼女の間に僕が居るという位置関係になってしまったのだ。仮に僕がスペイン語が話せて、彼女に「トルティーヤを作る手さばきは実に鮮やかだね。今まで何個のトルティーヤを作ったか数えてみたことはあるかい?」なんて話し掛けたりしたら、彼はどんな反応をするだろうか?なんてことを考えつつ、汗も引いて体調も回復してきたので、僕は彼のようにアスタルエゴと言ってBarを出た。彼は待ってたとばかり僕の座ってた椅子に移り、彼女に話し掛け始めたのだった。焼き付くような陽射しに晒されながら、サングラス越しにBarの大きなガラスの窓を振り返り、僕はまとまりのつかない思いを巡らせ始めるのだった。ヒョッとして彼女は、僕に救いを求めていたのだろうか?あるいは彼女は僕を盾にして、彼を避けていたのかもしれない。片言のスペイン語でも何か彼女に話し掛けていたら、少しは彼女とお近付きになれたのだろうか?そして嫉妬に狂った彼が僕の肩を叩き、「外へ出ろ」なんて言って、僕は「おぅ、やったろやんけ」なんて、広場で決闘と言うことになったりするのだろうか?彼女はボカディジョを齧りながら「マナブ負けないで」なんて言ってくれるのだろうか?しかし僕が椅子を降りた時、もうすでに彼の味方をしてしまったのだ。なんて、はたして僕は彼女に恋をしてしまったのだろうか?日射病の幻覚か、はたまたビールの酔いか、あるいはその両方か、スペインのフライパンで焼かれた僕は、Barのフライパンでトルティーヤを焼いた彼女に、恋心の図であった。

そして別のBarではカウンタ−の兄チャンが、「日本は今火山の噴火で大変だね」と話し掛けてきて、僕もそのニュ−スはグラナダに居たとき、日本人画家のTさんが興奮してテレビのニュ−スの話をしていたので知っていて、そうなんだよと話していたのだけど、フィリッピンも火山で大変なんだと言うのだ。オヤオヤ、この人は九州のことをフィリッピンだと思ってるのかしらと思い、日本でしょと言うと、イヤ、フィリッピンもなんだ。と話すので、一体今アジアはどうなっているのだ。と心配になってしまったのだった。そして「日本で噴火してるのはフジヤマか?」と聞くので、僕は慌ててノ−ノ−と言ったのだが、次は富士山が危ないという噂が、日本中で流れてるだろうなということは、容易に想像出来ることであり、何処かで詳しい情報を仕入れなくてはいけないなと思ったのだった。そしてほとんど夏バテ気味にフラついて、バスに乗りマラガへ向かった。

※ 雲仙普賢岳の火砕流
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