SOL Y SOMBRA (グラナダ)

グラナダへ向かうバスは山回りと海回りの2つのル−トがあり、僕は海回りのル−トのバスに乗ったのだが、海岸から山へ入って行く曲がり角の街モトリルに、最初泊まってみようかなと思っていたのである。そして海岸のさらに先にある、ネルハの街やその他の小さな街にも、そのモトリルを拠点として動いてみようかなと思っていたのだ。しかし、モトリルからマラガまでは90km位の距離であり、マラガに少し長く滞在してる間に、これらの街に来てみることも可能であると考えた僕は、グラナダまで直行することにしたのだ。少し霞んだ空に、雪を頂いたシェラネバダの山並が、時折見えるかなと期待したのだが、グラナダに近付くにつれ雲が多くなり、ポツリポツリと雨の雫が窓に付くようになってしまったのだった。そしてその午後の雨空という天気は、グラナダに着いてから4日間、全く同じスケジュ−ルで繰り返された。と言うのは、朝はとてもイイ天気なのだ。窓から空を眺めて、ヨシヨシと思いつつも、昼近くまでBedでウダウダしていて、昼飯を食べに宿を出て、そのまま街をブラブラしていると、2時から3時の間に、灰色の雲がグラナダの街の上空に広がり雨が降り出す。運が良ければ夕方頃雨が上がり、悪ければ夜中まで降り続けるといった調子なのだ。その灰色雲の登場時間というものも、かくも正確に続けられるものなのかと、少し腹立ち気味に空を睨んでみるのだけれども、その雲もグラナダを東西に横切る、幅1kmかそこらのものであり、雨に霞むグラナダの街の向こうに、陽の光に輝く田園風景というものも、なかなか美しくもあるのだけど、出来たらこの雨雲が田園の方へ移動して、雨に濡れたグラナダの街に陽が射して輝き、その向こうに、雨雲に影を落とされている田園風景というパタ−ンも見せて欲しいものだと願ったのだが、とうとうその欲求は満たされず、あるいは、その4日目に今日こそは晴れるのではと、希望的観測でもってアルハンブラ宮殿を見に行った時に、やはり降ってしまったのだけど、杉の並木を刈り込んでア−チにしてる所で雨宿りしたり、Barに入ってコ−ヒ−を飲んだりしてる内に、雨が上がり陽が射す様になったので、その時は正しくその風景であったのかも知れない。しかし僕は再度アルハンブラの内部に入って、斜めの光で撮り直しをしてたので、結局アルハンブラとグラナダを見下ろせるサクロモンテの丘へは行けず、やはりこういう悪いタイミングというものは何時でもあるものなのだ。そしてその4日間の雨が降るまでの空というものも、すっきりと晴れた青空ではなく、白く霞んだ様な青空であり、カメラのファインダ−を覗くまなざしにも、今一つ力が入らず、スケッチブックのペ−ジの上を走らせるペンも、滑らかには動かなかった。

そして5日目、今日も午後2時の雨は降るのだろうかと、恐る恐るアルバイシンの入り組んだ街並を歩いていると、日本人の男の人がスケッチをしていて、どっちからともなく挨拶して立ち話をしてる内に、今から家へ夕飯を食いに来いという話になってしまって、こっちは特に予定があるわけでもなく、毎日続いているボカディジョセルベッサ定食にも流石に飽きてきていたので、と言っても、ここグラナダは嬉しいことに、ボカディジョの専門店が、僕が見付けただけで3店あって、20種類位の中から選べ、しかも今までは間に挟むのは1種類のネタだったけど、Mixも可能であり、さらに3店の中で良く行った、カテドラルの近くの店では、コン サラダと頼めば野菜の刻んだものをたっぷり挟んでくれるので、野菜不足の食生活が続いている僕にとってはとても有り難かったのだが、その日本人の絵描きの人は、Kさんというのだけど、彼が作ってくれたのは、スパゲッティを使った煮込みうどん野菜入りであり、そういえば僕もオ−ストラリアで、スパゲッティをうどん風に煮込んで、皆に振る舞ったこともあったっけななんてことを思い出しながら、有り難く頂いたのだった。近くに住むやはり日本人画家のTさん、この人は僕と同じ秋田県で高校時代を送ったそうで、これも何かの縁だと色々と勧めてくれたのだ。そして女性のYさん、彼女は79歳でありながらスペイン通いをしつつ絵を描いている人だ。が集まって来て、Tさんが持って来たワインで飲み会となってしまって、と言っても僕の為ではなく、Yさんが2日後に日本に帰るのでお別れ会をやってるわけであり、僕はそれに便乗して食べたり飲んだりさせてもらってるわけなのだ。しかしそのTさんが持って来た5リットル位のワインのビンが空になる頃には、夜中の3時をとっくに過ぎており、僕は宿に帰っても当然入り口は鍵が掛かっていて、ベルを鳴らして管理人を起こし、薄暗いドアのガラスの向こうに主人がヌッと現われて、僕はその時になって初めて、こんな時に何て言えばいいのかしらなんて慌てて考えてみたのだけど、思い付かず、ただ「私の部屋は319号室です」とシドロモドロに言って、それでも主人は何も言わず鍵を開けてくれ、それがまた余計に不気味なのだけど、2階に上がって部屋の鍵を受け取り、さらに2階上がって自分の部屋へ行き、Bedに横になった途端に酔いが回ってきて、そのまま寝てしまったのだった。

次の日も送別会の続きをやるからおいでと誘われていたので、陽が沈む前の8時に再びKさんの家へ行き、Yさんが来てから一緒に、今度はTさんの家へ行ったのだ。Tさんの家に着くと野菜の天麩羅が山盛りで用意されており、さらに鍋焼きうどんの大盛りも作ってくれて、それも頂き、何かの縁かも知れないけれど、街角でアッどうもなんて会っただけの人間が、こんなに図々しくも頂いていいものかしら、と少し疑問に思いながらも、食べたり飲んだりしたのだった。しかしKさんもスペインに初めて来た時は、それもスペインに知り合いが居たから来る気になったらしいのだけど、イザ出発の日が近付くにつれ、逃げ出したくなったのだと話していたし、スペインに来てからも言葉が分からないことで起きた様々な体験談を話してくれ、そういう話を聞くにつれ、やはり少し人恋しい気持ちと、一人でスペインを旅行してる日本人は、少なからず同じ様な淋しい思いをしてるのだろう、という優しい気持ちで、色々と僕にしてくれるのだなと思い始めたのだった。この日も結局夜の1時を回ってから宿に帰り、再びベルを鳴らして管理人を起こし、今度は奥さんが出てきて、ヒソヒソ声で「今晩は」なんて言うので、こっちも小さな声で「今晩は」なんて言って鍵を受け取り、「お休み」と小さく言って部屋へ上がったのだった。 次の日、ワインがまだ残ってる様な感じの体に鞭打ってアルバイシンを歩いた。アルバイシンとは、昔アラブの人達が住んでた地区で、アルハンブラ宮殿と川を挟んで、丘の上に広がる白い壁の家と、迷路の様な細い石畳の坂道の街なのだ。雨が降らなくなってからの午後のグラナダの気温は上がる一方で、重いカメラバッグを担いで坂道を登ったり下ったりしてると、自然と足はBarの方へ向き、昼飯の時を含めて3軒回って再び坂を登っていると、スケッチをしているKさんと会い、今日は暑いですねぇなんて話してる内に、今からBarへ行こうなんて話になって、Kさんはスケッチを途中で止め、2人でBarへ行ったのだった。しかしどうもこのスペインの石畳の坂道の街というものは、犬のウンコの多いところで、やり立ての湯気の上がってるのやら、数日立ってしまって乾燥したものやら、そこら中に並んでいて、デッカイのになると誰か人間がやったのではないかと思えるようなのまであって、白い壁と壁の隙間に見える青空に見とれて歩いていたりなんかすると、それらのウンコを踏ん付けてしまうことになるわけだ。乾燥した奴なら、ボソボソと崩れるだけだからまだマシだけど、やり立てのものを踏ん付けてしまった日にゃ、石畳の坂道だけに、ズルッと滑って足を取られ、踏ん反り返って手を付いた所にも糞があり、手の平にグニュッと不快な感触に慌てて反対の手を付くとそこにもウンコ、ギャッと両手を地面から離すと顔が落ちてく所にまたウンコ、ということになりかねないのだ。実際、踏ん付けてしまって1m位ウンコが引き延ばされてる跡を良く見るし、石の角に靴をこすり付けてる人もまた良く見るものだ。しかし野良犬も多いけれど、飼い犬であっても連れて歩いてる人は、犬がウンコをしても全く片付けないし、一体あのウンコの行く末はどうなるのであろうか。やがて乾燥してボロボロと粉になって、石畳の隙間を埋めていく。あるいは人によって踏み固められていく。スペインに来てサンダルで歩いていると、皆エイリアンでも見るような目付きで僕を見るので、あるいはその石畳の犬のウンコと関係があるのかも知れない。あの道をサンダルで歩くなんて怖いもの知らずというか、非常識この上ないのかも知れない。しかしサンダル履きの僕を見て笑う暇があったら、自分が連れてる犬のウンコの始末でもしたらどうなのだ。と僕は思う。という様なことを、Barに入ってBeerを飲みながら、Kさんに話したりしたのだった。結局2軒ハシゴして3軒目に行こうとしたKさんの行き付けのBarが、まだ開いておらず、Kさんちへ行って夕飯にしようという話になり、僕も又調子に乗ってホイホイ行ったのだったが、グラナダの夕暮れというものにまだ出会っていない僕としては、その日を逃したくない気持ちもあって、Kさんが御飯を炊いている間、1時間程近くをブラブラすることにさせてもらったのだ。夕映えのシェラネバダとアルハンブラというものもイイ絵になるだろうなんて考えつつも、半分影になった教会の絵を描いてる内に大分陽も陰ってしまって、アリャリャと慌てて坂道を登ったのだが、なにせ迷路のような道なものだから、アルハンブラが良く見える広場になかなか出ず、その内家と家の間にピンク色に輝くはぐれ雲が見えて、あぁなんて溜息を洩らし、汗も掻きつつ広場へ急ぎ着いてみると、アルハンブラはもうとっくに影の中であり、さっきあんなに明るく輝いていた雲も峠を越して暗くなりつつあり、しかしその雲の形は、シェラネバダの上に被さる笠雲、あるいはレンズ雲と呼ぶ種類の雲だと思うのだが、まるでUFOの様に2つポコポコと、山の上に綺麗な形で並んでいるのだった。ウ−ムあと5分、あと5分早ければあの雲はもっと輝いていたのだ。何というタイミングの悪さだろう。スペインに来て、本当にタイミングの悪さに何度地団駄踏んだことだろう。石畳の道でカメラを構えると、車が突然やってきてファインダ−のど真ん中で止まり、ドライバ−はBarへ入ってしまう。展望台で海を眺めてるオジサンの後ろ姿にレンズを向けると、オジサンは帰ってしまう。人の居なくなった街角を撮ろうと、通行人が居なくなるのを待ってると、店のシャッタ−を閉じてたオジサンが、カメラを一杯ぶら下げた僕が何をしてるのかと、ジッと立ち尽くしてしまう。人の通行の邪魔にならぬよう、歩道の車道側の端に立ってカメラを構えると、わざわざ車道に降りてカメラの前を通るオバサン。さらにカメラを構えてる目の前で井戸端会議を始めてしまう3人組のオバサン。もう参った参ったである。アルバイシンの小さな店でワインを一瓶買ってKさんの家に戻り、見てきた山の上のピンク色の雲のことを少し興奮気味に話しつつ、御飯を頂き、3日連続で宿の人を夜中に起こすわけにはいかないからと言って、12時前にKさんの家から失礼したのだった。

次の日1週間グラナダに居ながら、まだカテドラルの中を見てなかったので見に行き、さらに次の日、イヨイヨグラナダを離れる為、荷物を担いで2階にある受付で清算してもらったのだが、主人は一日1500ptsだと言うのだ。しかし僕がここに着いて、応対してくれた若い女の人が言ってくれた料金は1300ptsであり、シングルが無くてツインでその値段であり、もし滞在中にシングルが空いたら移ってもイイと言ってくれたのだけど、1300でツインで居心地も良かったのでそのまま居座ったのだ。出る時になって1500だなんてそれはあんまりで、あの若い女の人を呼んでくれと言ったのだけど、とうとうあの子は出て来ず、1500で押し切られてしまった。僕としてはグラナダは、又来てみたいなと思う街であるし、余りここで悪い印象を強めるより、あの子が言ってくれた料金が間違ってただけだろうと思うことにした。モハカ−ルで安くなった分、ここで余計に払うことになっただけなのだ。暫く7の数字とも巡り合ってないことだし、などと考えながら、グラナダにバスで着いた日にも入ったことのある、ボカディジョの専門店で昼飯にした。もう一週間も前なのに店の人は僕のことを覚えていて、僕がたどたどしくボカディジョロモ イなんて言い始めると、ウエボコンベイコン ノ?なんて、僕が一週間前に頼んだものと同じものであることを素早く察して、聞いてくれたのだった。そしてバスタ−ミナルに着いてベンチに座っていると、日本人の若い女性が荷物を引きずってやって来て、「チョット荷物を見ててくれませんか」と言うので、「ハイいいですよ」なんて軽く引き受けて、なにせこっちのバスの時間までまだ1時間半以上もあるので、のんびり構えているわけで、その人が戻って来て話を聞くと、ガイドブックを作っている人でここら辺は良く知ってるらしいので、僕がこれから行く予定のハエンという街のことを聞くと、あっさり、「見るべきものの無い町です」なんて言われて、しかしそう言ってくれた彼女には悪いけれど、これはきっと面白い街に違いないという、六感にピンッと来るものがあり、僕はワクワクしてバスに乗り込んだのだった。

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