SOL Y SOMBRA (マヨルカからアリカンテ)

日曜のフェリ−は夜の11時45分にパルマを出るのだ。昼頃宿に荷物を預けて、ほとんどの店が閉まっているパルマの市街をブラブラした。ここパルマは教会が本当に多い街で、2週間の滞在中地図を片手に、パルマ市街だけで20軒の教会を見て回った。中も全部見れたら良かったのだけど、時間が決まってるし、昼は開いてない教会の方が多いので、5,6軒しか中を見ることは出来なかった。しかし内部もそうだが、教会の建物もそれぞれ個性を持って様々な形をしているので、教会巡りもなかなか面白いものだった。これだけ多くの違う形の教会の絵を、簡単でいいから描いて回ってたら、20軒の教会の絵というのも、なかなか面白いのではなかったのかと思ったりしたのだった。そこで一日で20軒は回れないけれど、近くの3,4軒位は描けるかも知れないと思い、教会巡りに出掛けた。しかしやり始めて気付いたのだが、ステンドグラスの細かさといい、入り口の周りの彫刻といい、一筋ではいかないものなのである。さらに狭い道路に入り口前の広場もなく立っている教会も多く、天辺が見えなかったりするものだから、これはかなり難しい作業なのだ。ほとんど出鱈目の3軒の教会の絵が描けただけだった。3軒目の教会の絵を描いている時、土地の子供達が寄って来て、「今まで描いたの全部見せろ」と言うので見せてあげたら、2軒目の教会の絵を見てカテドラルだなんて叫んだりして、こっちは違うんだけどなぁなんてガッカリしちゃったのだけど、ソジェ−ルの絵はソジェ−ルだと言ってくれたのでホッとした。そうこうしてる内に陽が沈み、ケンタッキ−フライドチキンで夕食を済まし、宿へ帰って、一階にあるBarでコ−ヒ−を飲んで時間を潰した。カウンタ−の兄チャンにバレンシア行きの船は何処から出るのかと聞くと、僕が以前行った港の外側の堤防の近くらしく、バスで行けと言うので、あぁじゃあの1番のバスで行けるなと思い、9:30頃宿を出てバス停でバスを待った。他の番号のバスが4,5台通っても、1番はなかなか来なかった。スペインのバス停にしては珍しく、ル−トマップと最終までの3本位の時間の案内まであって、それによるともうそろそろ来ていい筈だった。20分も待っただろうか、タクシ−にしようかな、しかしタクシ−に乗り込んでいる時に、後ろからバスが来るという悪いタイミングがこういう時にはアリガチだ(以前にも同じ様なパタ−ンがあったような気がするが)もう少し待ってみよう。そうそう時間通りには来ないものなのだ。また土地のオバチャンとでも話し込んで、バスを出すのを忘れてるのかも知れない。まだ船の時間には大分あるのだ。と、人通りのめっきり少なくなった街角のバス停で、ゆっくり待つ態勢を整えていると、少し酔い加減の土地の兄チャンが英語で話し掛けてきた。「お前さっきから長い時間バス待ってるでね−の。何番のバスに乗るんだ?」「何1番?1番はもう無いよこんな時間だもの」「イヤでもここに時間が出てるよ」と 僕が指差して良く見てみると、最終は21:00であり、僕が今来ると思ってたバスの時刻は20:15で、20時をてっきり10時と思い込んでしまっていたのだった。こりゃタクシ−だなと思い荷物を担ぐと、その兄チャンが「今から何処へ行くんだ」と聞くので、「港へ行って船でバレンシアまで」と言うと、「それなら別のバスで行ける」と言ってる内に別の番号のバスがやって来て、兄チャンが手を振ってバスを止め、運転手にポルト・ピまで行くかと聞いてくれ、彼も乗ってそのバスは出たのだった。走っている最中、「何か書くものはあるか」と言うので、メモ帳とボ−ルペンを渡すと、「お前が降りるバス停はポルト・ピ。そこから船着き場までは少し歩かなきゃならん。今から地図描いてやるから見てろよ」と言って説明しながら地図を描いてくれ、「マヨルカにはどの位居た?」と聞くので、「2週間」と答えると、「日本からマヨルカまでダイレクトで来たのか?」と聞くので、「イヤ、アメリカへ渡ってマドリッドに入り、バレンシアから船でイビサへ行って、それからマヨルカだ」と説明した。「日本からスペインまではどの位の料金なのだ?」と聞かれたけれど、僕は知らないのでそう言うと「スペインから日本へなんて高過ぎてとても行けやしない」と言っていた。そして僕がカメラマンであると言うと彼は、黒白写真が好きで、自分が撮った犬と猫がジャレてる写真で、賞を取った話をし始め、様々な機材も盗難にあって何にも残っていず、今は全然写真はやっていないということだった。僕は彼が教えてくれたバス停で降り、彼の描いてくれた地図を頼りに港まで行った。今回は無事ボ−ディングパスをもらって乗船し、再び収まりの悪いシ−トで良く眠れなかったのだが、船は無事バレンシアに翌朝9時過ぎに着いたのだった。

バスに乗って駅まで行き、以前泊まった宿の近くのカフェで朝飯にし、食後荷物を担いだ姿で銀行を探した。おかしなもので、あれだけ一杯銀行がありながら、トラベラ−ズチェックを両替してくれる銀行がなかなか無く、1時間の間に4軒の銀行で断られ、5軒目でやっと荷物を降ろせた頃にはもう全身汗だくで、時間も12時近くになっており、1時のアリカンテ行きのバスを捕まえるためには少し急ぐ必要があった。再び荷物を担いで少し歩き、観光案内所でバスタ−ミナル行きのバスの乗り場を教えてもらってバスに乗り、タ−ミナルに着いたのは12時30分だった。チケットを購入し、タ−ミナル内のBarでBeerを飲んでミネラルウォ−タ−を買い、バスに乗り込んだ。2/3程の席はもうすでに乗り込んだ客で埋まっており、後ろの座席が空いているので気にせず座ったのだが、皆前の方にだけ整然と座っているのでもしやと思い、チケットを良く見直すとシ−トナンバ−が印字されており、僕の番号は19だった。再びカメラバッグを持ち、前の方の座席へ移動し、ほとんど乾いた部分の無いバンダナで汗を拭った。定刻どおりバスはタ−ミナルを出発し、バレンシアの街を後にした。マヨルカではあれほど雲が多かったのに、バレンシアから南に見える空には雲一つ無かった。遠くの山々は、暑さの為に湯気でも上がっているのか霞んで見え、イヨイヨ南へ向かうのだという気分を盛り上げてくれていた。バレンシアからアリカンテまでは良く整備された高速道路があり、途中の街をほとんどバイパスで通り過ぎてしまうし、しかも海から少し離れた所を走るので、海岸沿いの小さな街が遠くに見えて、なかなかイイ所だなと思っても、何という街なのか分からず、ウ−ムどうしたものかと唸りながらバスのシ−トに埋まっていたのだが、アリカンテの街に着くと、海岸沿いを走る鉄道があり、バスも調べてみると、通り過ぎて来た街へ行くバスが結構本数があって、これは少し戻ってみるようだと決めるのにさほど時間は要らなかった。しかしアリカンテの海岸もなかなか良く、この辺の海岸はコスタ・ブランカと云って、白い海岸の名の通り白い砂であり、バレンシアの海岸の砂は少し濁っていて、コスタ・ブランカの仲間には入れないだろうし、雰囲気もほとんどオフの海岸という風情だったのだが、ここアリカンテはもうシ−ズン真っ盛りと謂わんばかりに、空は真っ青に雲一つ無く晴れ渡っていて、砂浜も白く輝き、パ−ムツリ−の葉も気持ち良さそうに揺れていたのだった。着いたその日の夕方はアリカンテの海岸を、そして次の日は、その海岸からいきなり絶壁の山があり、その上の城塞を見に行った。この山のおかげで、海岸が夕方の早い時間に日陰になってしまうのは少し残念だった。さてバスタ−ミナルの建物内にある観光案内所でもらった、新聞紙一枚位の大きさのある、アリカンテの地図を片手に山を登ったのだが、ほとんど垂直に切り立つ崖の下で道は途切れてしまったのだった。そんな馬鹿なと思いつつウロウロと、そのブルド−ザ−で押し広げた後の行き止まりの道を見て歩いた。するとほとんど獣道と言っていいほど狭い幅で人が通った後を発見し、そこを登ってみたのだが、こちとらサンダル履きで、しかも重いカメラバッグを担いでいるので、その今にも崩れそうな崖の斜面の小道というものは、なかなかスリルに富んでいると余裕を見せることすら不可能なほど、チョット真剣にならざるを得なかったのだった。そしてその道で山を回ると、裏側から登ってくる車道に出ることが出来、思わずホッと溜息をついてその車道を登ったのだが、これに似たシチュエイションがオ−ストラリアであった事を思い出した。タウンズビルという東海岸の北の方にある街に、キャッスルヒルというやはり切り立った崖の山があって、これも山をぐるりと回って登る車道しか道は無く、僕は延々と歩いて、しかもその日は山焼きをしてる日で、道の両側は山火事なのである。夕方頂上に着いて、陽が沈んでから山を下ったのだが、山はまだ燃えていて、街灯の無いその道を歩くには都合は良かったのだが、時折風にあおられて火の粉が飛んでくるし、少々息苦しくもあったのだった。車なら15分も掛からず頂上に着くのだから、僕が登ってる最中に追い越していった車が、頂上で十分堪能して下って来ても、僕は未だに煙の中を汗をかいて登っているという状況は、何と車中心に考えられている社会というものは、かくも車を持っていない人を苦しめることかと憤慨させられるものがあったのだ。とまぁ取りあえずは無事頂上に着いたのだから、文句はそれ位にして、あの垂直の崖の上に迫り出して造られた見張り台であろう、そこからアリカンテの街と海岸を見下ろす。それにしても風が強く、見晴らしが良くてもカメラが構えられない状況というものは、なかなか辛いものがあるのだ。早々に切り上げて城塞の中を見て回っていると、エレベ−タ−があるのを見付けた。その横のベンチに腰掛けてる係の人らしきオジサンに問うと、これで街へ降りれるらしい。何だ、あんな思いをして登ってこなくとも、エレベ−タ−でスィッチポンでこれたんじゃないか。じゃ帰りはこれで行こうと思い、「切符はいくらですか」と聞くと、「下から昇る時に往復切符を買って、このエレベ−タ−に乗らないと駄目だよ」と言われた。つまり、帰りだけの利用は出来ないということだった。な−んなのだ一体どういう理屈なのだ。切符売り場が上に無いのだったら、降りてって下で払えばいいではないか、何故それが出来ないのだ?とスペイン語で言えたら言いたかったのだけど、大分傾いた陽の光を背中に浴びながら、再び車道を歩くしかなかったのだった。山を回り陽の光を正面から受けて道を下ってると、別れ道があって、そっちへ入って行ってみると、僕が登ってきた道の途中に出たのだった。しかし考えてみると、駅でも出る時の切符回収の改札が無いのだから、エレベ−タ−で降りて払うと言っても、しらんぷりして出てしまったら分からないのだろうなと思えた。歩いて登ってくる人なんて、どっかのサンダル履きのアホな日本人ぐらいのものなのだ。そういえばキャッスルヒルもサンダルで登ったっけなぁなんて仕様も無い事を思い出しつつ、アリカンテの夜は更けて、あの山の上の城塞から打ち上げられた花火が、長い間ドンパチドンパチ鳴っていて、僕が泊まった宿からは光は見えず、音だけの花火を聞きながらBedに入ったのだった。

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