SOL Y SOMBRA (ヴァレンシア周辺)
今日は夜の船に乗ってイビサへ渡るのだ。出港の時間11:00まで、あの重い荷物を担いでウロウロなど出来ないので、宿に頼んで荷物を預かってもらう。快く引き受けてくれたのでラッキ−と思ったのだが、しっかり200pts取られてしまった。宿の前のCafeでカフェコンレチェとアップルパイ(指差しでもらう)を食べて、これといってすることもないし、いつもより余計に物が詰まっている分カメラバックも力強く肩に食い込むし、近くの公園で日光浴としゃれこんだ。今日は昨日までとは違い風も日差しも暑く、イヨイヨ夏近しとデモンストレイションしてるみたいな天気なので、昨日とほぼ同じ服装でいた僕はたちまち汗をかいて、ジャケットを脱ぎ袖をまくり、それでもなおかつバンダナで顔の汗を拭かねばならぬほど、気温は上がり続けていた。日陰へ移って暫く休みカテドラルの方へ行ってみる。何処かいいところがあればスケッチでもと思っていたのだが、なかなか良さそうなところが見つからず、再び日陰のベンチで休んでいると、黒人の青年が近付いてきて英語で話し掛けてきた。彼が言うには、ケニアから来た船員で、船の着いたバルセロナで盗難にあってパスポ−トを失った。再発行の手続きをしたいのだがスペインにはケニアの大使館がない。そこでイギリスにいる友達に連絡して、イギリスかフランスにある大使館に頼んでもらっているのだ。友達からの連絡が来るまでどのくらい日数が掛かるか分からないので、物価の高いバルセロナに居るよりはと今ヴァレンシアに来ているのだ。それも宿に泊まっているわけではなく、橋の下とかで寝ている始末だ。もし良かったら少しのコインでいいから分けてくれないだろうか?彼の話が本当か嘘かは分からない。あるいはこんなのは彼らがよくやる手だとはなから疑って掛かる人も居るだろう。全く最初から無視してしまう人も居ることだろうと思う。しかし僕は500ptsを彼に渡した。彼の話は嘘かも知れない。けどもし本当だったらと思うと、僕もオ−ストラリアでパスポ−トを盗まれた経験があるし、それもまだ僕の場合は領事館のある街で起きた事件であったし、暫く同じ宿に泊まっていた関係上皆すごく心配してくれて、お金を貸してくれたりPubへ連れてってくれたりしたし、パスポ−トもビザの期限の関係もあって、帰国のための渡航書なるものを速やかに発行してもらえたし、一緒に失った飛行機のチケットも、航空会社のオフィスの女の人が実に手際良く日本へ確認してくれ、特別のラインを使って座席も確保してくれて、僕がオフィスへ足を運ぶ度に「Mr.ナラ パスポ−トは手に入ったのか?」とオフィスの奥の方からでも声を掛けてくれて、僕は本当に嬉しかった。それであの時はさほど心細い思いをせずに済んだのだ。あれがもしずっと内陸の方で起きた事件であったらと思うと、とてもアァは行かないはずだし、想像するだけでちょっと身震いしてしまうほどだ。そしてその事態が今彼の見舞われている状況なのだ。さらに悪いことにこの国に大使館が無いときている(本当に無いのかどうかは僕は知らないけれど)。しかも彼はスペイン語が話せない(僕もほとんど話せないけど)これは尋常でないはずだ。彼の話を疑って無下に見捨ててしまうのは、僕には出来ないことなのだ。たった500ptsで何が出来るかと言われてしまえば、飯一食分にしかならないからそれで終わりかも知れない。でも彼はいたく感激して、イヤそれも「僕もあまりお金は持っていないのだけど」と言って、僕がポケットからコインを取り出して手のひらに広げたとき、5ptsや25ptsに混じって100ptsが二枚と、500ptsが一枚あったのだ。そして僕が500ptsのコインをつまんで彼の手に渡したとき、彼はそのコインを見てハッと驚いたのだった。彼は精々25ptsかあるいは50pts位であろうと思ってたに違いない。街中で物乞いの人達は多いが、彼等がもらえているのはその位のコインであることが多いのを僕は知っている。彼は本当に感激して手を差し出し僕と握手して「自分の名はジョ−イと言う君の名は」と言うので、僕は自分の名前を告げ「早くパスポ−トが手に入ることを祈っているよ」と言って別れたのだった。こういうことをすると日本人はお金もってて簡単にもらえると思われ、声を掛けられるということになるから、やってはいけないことだと他の日本人は迷惑がるかも知れない。実際僕もカンポ・デ・クリプタ−ナで風車を撮影するので、雲に隠れた太陽が顔を出すまで待っていたとき、土地の子供達がハポネ−スと声を掛けてきて、ボ−ルペンをくれとか日本のコインをくれとか、かなり長いことせがまれてしまった。しかし僕は日本のコインは全く持っていなかったし、ボ−ルペンも皆に配れるほど多くは持っていなかったので、くれてやることは出来ないのだ。代わりに写真を撮って送ってあげることにしたのだが、彼等も日本人観光客の多いこの街で、日本人からのプレゼントでボ−ルペン等はすぐもらえるものだと思い込んでしまってるのだろうと思う。その時は全く日本人観光客は何を考えておるのだと思ってしまったりしたのだが、それでも僕もやはり日本のコインやボ−ルペンが一杯あったらあげたかも知れない。しかし問題は必要に迫られている人の場合なのだ。僕には彼の話を真っ赤な嘘だと思うことなど出来ないのだ。500ptsじゃあげないのと同じかも知れないし、ほとんど言い訳じみてきたから、もうこの話は止めにするけど、一杯あるのならあげるのは簡単だけど、人が困っているときに、自分もそんなに持ってるわけではないけど、少し分けてあげたというだけの事だ。彼の話を聞いた仲間が俺も俺もと来てしまったら、オイコラ待てよということになるのだけれど−−。

さて、この日はベンチで休むことが多いせいか、隣に座った人などに声を掛けられることが多い日だった。眼鏡を掛けた老人は「何処から来たチナ(China)か?」と聞くのでハポンだと答え、「スペイン語は話すのか」と聞くのでウンポコ(少し)と答え、「イイ天気ですね」と言うと、そうヴァレンシアは天気がイイヨ春がどうで六月がどうでとかイロイロ天気状況を説明してくれたらしいのだが、あまり良く分からなかった。その後話が続かず、彼は「アスタルエゴ(またね)」と言って去って行ったのだった。陽が大分傾いたころに休んでいた時も、老人が「火を持っているかい」と近付いてきて、僕が火を付けてあげると、彼はタバコを一本僕にくれて隣に座り、何処から来たのかと聞くのでハポンと答えると、「あぁ顔見てそうだと思った」と言い、「スペイン語は話すのか」と聞くのでポキ−ト(ちょっと)と答え、こう言うと全て話してるのを理解して答えてると思われると困るので、断っておくけれども、雰囲気でそんなことを聞いているのだなと思って答えたのが、たまたま合ってるだけなのだ。「休暇で来てるのか?」「シ」「どの位の期間かね?」「四〜五ヶ月間」「仕事は何なの?」「フォトグラファ」「どんな@:m*#br?」この辺から僕のスペイン語も当てにならなくなってきたので、「フランセスかイングレスは話すのか?」と彼が聞くので、「イングレス リトルビット」ほとんど文章にならず彼は呆れて、「スペイン語もフランス語も英語もイタリア語も話せないで良くこんな所まで来たもんだ、お前はハッピ−な男だよ」と肩を叩かれてしまった。「どうだ今からワシの家に来んか?ワシはお前が気に入った」と誘われたのだが、「イヤ今から港へ行かねばならんのです。僕はこれからイビサへ渡るのです」と英語で答えると、「そうかイビサはイイ所だよ。イビサにはどの位居るんだ一週間か?イビサの後はバレンシアへ戻るのか?ヨシ電話番号教えるから戻ったら連絡しろ」と僕のメモ帳に電話番号を書いてくれたのだが、一人住まいの彼は、「見掛けはヨボヨボじゃが昔はスポ−ツマンだった」と言い、「お前もイイ体しとるワシはお前が気に入った」とこれを何度も繰り返し、これまた問題のスペイン語なのだが、グスタ−ルとかグストという単語は確かに気に入るということだが、好きだという意味もあるわけで、あまりその単語を繰り返すので、さらにボニ−ト(かわいい)という単語まで出るに至って、このオッチャンはあっちの趣味でもあるのかしらんと疑ってみるべきなのかも知れないと思ったのだった。こればっかりは以前のマニャ−ナの時のように、しみじみと認識するような経験だけはしたくないので、連絡はせずにおこうと思ったのだった。夕食を済ませてアグアミネラルを購入し、宿へ行って荷物を受け取り、バスに乗って港へ行った。チケットがなんと飛行機のそれみたいな奴で、ヘェ−と思いつつよく見てみると、僕の名前が書かれるべきところにセゾンとあるので笑ってしまった。僕はこのとき現金の持ち合わせがあまり多くなかったし、船賃もいくらなのか分からなかったのでカ−ドで買ったのだけど、さすがにVISAは付いていてもセゾンカ−ドは知られてないのだろう。もし船が沈んだりして乗客の名簿作成の時、僕の名前はMr.セゾンであり、誰も日本人がこの船に乗ってたことに気付かず、日本のニュ−スでは乗客に日本人はいなかったようですなんて報道されたりするのだろうか、なんて考えたりしたのだった。さてパルマとイビサと同じ時刻の出港なので、パルマ行きに乗って途中イビサで降りるのか、それとも別の船が同時に出るのか不安になったが、しっかり二隻来たので乗り込もうと列の後ろに付いた。しかし皆僕と違う切符を持っているのに気付いた。ヤヤヤこれはヒョットして本当に飛行機みたいにボ−ディングパスをもらわなければならないのかしら?しかし二等船室でそんなもの必要なのかいな、皆一等だから違う切符なんだろ。でも俺だけ(突然俺になるけど)二等というのも変だなと思っているうちに自分の番になり、僕の切符を見た係の人に「あっセニョ−ル下へ行ってビジェテ(チケット)もらってきてね」と言われてしまった。やはりそうだったのだ。ヤヤコシイことスナ!ホンマニイと思いつつ荷物を担いだまま下へ走り、パスをもらって再度列に付く。パスを見せると「ブエンブエン(グッドグッド)」と言って半券を千切ってくれた。乗船すると白い制服のオジサンに、「荷物は荷物室へ置いて席は階下だよ」と言われ、カメラバックをどうするか迷ったが一緒に荷物室に置き階下へ。何と大きい座席がゆったり並んであって、おまけにリクライニングでこりゃええわいと思って寝る態勢を取ってみると、意外と収まりが悪くなかなか寝付けなかった。しかし波の状態は良好で、ほとんど電車に乗っているような感じだった。そして翌朝8:30頃イヨイヨイビサに到着したのだった。

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