SOL Y SOMBRA (トレド周辺)
 トレドは有名な街で、観光名所で、マドリッドからも近い。観光バスが次から次とやって来ては、団体さんがゾロゾロウロウロ。その中の一人が僕に道を聞いたりして、俺だって知らねぇっつうの。川を渡って対岸の丘からトレドの絵を描く。そこもツア−バスのル−トで、次から次とバスがやって来ては、団体さんがゾロゾロ、写真をパチパチ、ビデオは音は無し。何人かは僕の後ろからスケッチを眺めては一言二言。マドリッドのプラドでも、日本人の絵描きが模写をしてる横で、観光で来てた日本人の小学生が、大きな声で「似てないよコレ」。恐らく僕もそんなことを言われてるのだろ。分からん言葉で良かったワイ。                         

 電車に乗ってカンポ・デ・クリプタ−ナまで来てみたが、歩けど歩けど宿は無し。小高い丘の天辺に立つ風車まで、重い荷物を担いで登ってみると、その風車の中からオジサン達が手招きする。どうやらそこが観光案内所のようで、僕が宿は何処かと問うと、「どんな宿がお望みかね」と言うので、「とにかく安い宿」と言って笑われた。しっかり教えてもらい、宿に荷物を置いて街を歩いたが、他に宿は1軒しか見当たらず、こっちが高い宿ということなのだろ。丘の上の風車は、鎖でつながれた回らぬ風車で、風はとても強く冷たく、その風を正面から受け止めても、ギシギシと軋む音をさせるだけで、回らぬ風車は少し淋しい。その風車に向かって2匹の黒い犬が、白い小屋の屋根の上から吠えていたけれど、彼等は鎖ではつながれていなかった。

  カンポ・デ・クリプタ−ナからアルカサ−ル・デ・サン・ファンまで電車で一駅だ。宿を出て11時位に駅に着き、次の電車は何時か聞いてみたら、「ドセ キンセ(12時15分)タルゴだから別料金が付いて高いよ」と言われた。いくらなのかも聞かず、しばしベンチに座って思案する。ヒッチハイクでもしようかな、各駅停車も3時頃にあるみたいだから、車が捕まらなかったら、その電車に乗ろうかと考えている内に、電車の時間が近付き、再び切符売りの窓口が開いた。しかしいくら高いと言ったって日本のようなことはあるまい。とりあえず聞いてみようと思い、さっきの駅員とは違う人だったが、「アルカサ−ルまで一枚ください」と言うと、その駅員曰く「アンタねぇ一駅でホンノわずかの距離だから、この電車には乗れんのよ」と言ったのだと僕は解釈したつもりだった。電車が来るので皆がホ−ムへ出て、一人待合室で落胆してたら、ホ−ムから客の一人、僕の次に切符を買うので並んでいたオバサンが呼ぶ。「乗らないの?」「だって切符がないもの」と答える。次に駅員が走ってきて「アルカサ−ルだろ早よ乗れ!」と叫んだ。アリャリャ?と思い慌てて荷物を担いで出口へ走ったら、バックパックが扉に挟まって通れない。駅員が呆れて見ている。力で引き抜き電車へ走り込む。電車のドアが自動でなくてよかった。通路に立って5分もせぬ内にアルカサ−ルへ着いた。なんとタルゴに無賃乗車してしまったのだった。ホ−ムのカフェでコ−ヒ−を飲んで、一息いれて駅を出て(スペインの駅は切符の回収のための改札はないのだ)今度はバスに乗ってバスタ−ミナルへ行くのだ。駅前のバス停でしばし待てどバスは来ない。通り行くオジサンに問えば、もっと向こうの通りだという。少し歩いて再度立ち話のオバサンに問う。あっちだという。ウ−ムはっきりせんがとりあえず歩く。バス停は無い。バスも通らない。その内バスタ−ミナルはこっちというサインが現われて、とうとうバスタ−ミナルまて20分位歩き通してしまった。時刻は1時30分。2時位にクエンカ行きのバスがあるだろうと勝手に考えていたのだが、明日の5時と言われてガックリ。再び駅へ戻る為、タ−ミナル前のバス停でバスを待つ。待てど暮らせどバスは来ない。昼飯もまだだし、タ−ミナルのBarで何か食ってから出直すか。しかし今離れるとバスが来るという悪いタイミングというものが、こういうときにはありがちだ。も少し待ってみる。バスは来ない。タバコを一服。バスは来ない。こういうときの見切りのタイミングA,B,C,という本でも書いたら売れるのではないかしらん。しかし日本のバス停だったら、どんな田舎でも時刻表は出てる。時刻が無くとも何分間隔で運行してるぐらいの案内があれば、まだ見切りもつけられるというものだ。体が冷え切った頃やっとバスが来る。待つこと1時間。しかし乗って初めて分かる。皆自分の好きなところで乗り降りするのであった。バス停らしき所で止まるなんて事はなかった。客は口笛などでドライバ−に合図して、止めてもらって降りる。乗るときは手を振ってバスを止める。はたして自分が降りるべき駅前は何処。キョロキョロオロオロ。バスはクネクネ曲がって走り、今向いているのは西やら東やら。運転手から何か言われた青年が僕に合図し、「駅はここで降りるんだよ」と教えてくれた。アリャリャコリャマタアリガトグラシアスサンキュ−ドモドモ。なんとも電車はタダで乗せてくれるし、バスで降りる所はしっかり教えてくれるし、なんとイイ国なのだろう。旅の疲れも肩の痛みも何処へやら。駅前のオテルに荷物を置いて、隣にある中華屋さんでチャ−ハンとスブタを食す。(ちなみにチャ−ハンはアロス フリットス。スブタはセルド アグリドゥルセと言う)しかしタ−ミナルで教えてもらった明日5時というのは、はたして朝なのだろうか夕方なのだろうかと、ハタと考えてしまった。でものんびりしたこちらの国のことだ、朝の5時ということはあるまい、のんびり行こうぜ、もし乗れなかったらまた次の日があるさ。クエンカへ行ってその次はイヨイヨ海だ。−−しかし、バスがもし朝だったりして、それを逃すと次の日は日曜日。はたして日曜に運行してるかどうか、これも疑問が残るところだ。と気になり始めた僕は、もう陽が暮れ掛けた8時30分過ぎに、再びバスタ−ミナルへ歩いたのだった。インフォメ−ションが閉まっていても、チケット売り場にあるいは時間が、バス停の例もあるからあまり期待はもてないが、ま、とりあえずと思い行ったのだが、ちょうど案内所のオネエさんが、窓口のシャッタ−を閉めて帰ろうとしてるところだったので聞いてみた。と言ってもここが問題なのだが、スペイン語の明日と朝は同じ単語なのだ。そこで僕は、「明日のクエンカ行きのバスは明日の朝か」と3回同じ単語を使って聞いてみたのだが(明日の午後かと聞けば良かったな、と言いながら思ったのだけど)彼女は1言「マニャ−ナ」と答える。再度確認のため朝か夕方かと聞こうと、マニャ−ナ オ タルデと言う途中、タまで言わぬ内に「マニャ−ナ」と強く言われたので、こりゃもう朝なのだなと納得して、「グラシアス」と言って別れ、Barで一杯ひっかけてからオテルへ戻り、フロントで明日早いからと精算してもらい、シャワ−を浴びてベットに入ったのはもう12時近かった。さて3時45分に目覚ましで起きて、まだ暗いアルカサ−ルの街を、重い荷物を担いで、バスタ−ミナルまでの通い慣れた道を行く。途中、酔っ払ったカップルにオテルは何処にあるかと聞かれて、あっちと指差して教えたりなどしながら着いてみると、はたしてバスタ−ミナルはひっそりと閉まったままであり、誰かがもうすぐ来てシャッタ−を開ける雰囲気など微塵もなく、操車場に回ってみても朝一で出る準備をしてるバスなど1台もなく、ただ止めてあるバスも1台も無いのだ。空っぽ。5時までまだ15分はあるからその時間内で、バスが何処からかやって来て、タ−ミナルの前で停車し、運転手から切符を購入して乗り込むのだろうか?しかし5時を過ぎてもバスが来る気配は無かった。巡回してるポリシアのパトカ−がゆっくり目の前を通り過ぎて行き、ヒタヒタヒタと忍び足で朝の散策の犬が、僕に気付いて動きを止める。人は来ない。バスも来ない。5時20分を回って、体は完全に冷え切ってしまったのだった。もう来ないのだ。やはり朝から走るはずはないのだ。昨日のオネエさんも、「明日だったら明日もう何度言ったって明日なんだから!」と、もうほとんど朝という意味は考えず話していたのだ。と思う。人の通らぬ街角の、バスの操車場の塀の隅に佇みながら、マニャ−ナの意味をしみじみと認識した僕は、バックパックを担ぎ再び駅へと向かったのだった。

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