10月26日
小坂町の新名所に行ってきました。


秋晴れで天気もいいし、今日は たまりにたまった体脂肪を減らさなくちゃと、
重い腰を上げ、ウォ−キングに行くことにしました。
 でも、一人で歩くのはチョッと恥ずかしい・・・何処に行こうか迷ったあげく
曙の坂で登山の練習をすることにしました。人も少ないだろうしいいかもしれない。
新らしい橋が開通しているらしいから デジカメ持って行こう。

という訳で曙の坂を登りました。お稲荷さんから10分位で新しい道が出来た所にたどり着きました。
内ノ岱を左に見ながら新しい道を歩くと朝日ヶ丘との分岐に到着、左に曲がると大きな橋が現われる。
でも、橋と言うよりただの真っ直ぐな道にしか見えない。樹海ラインの交通量に比べると
すごく少ないのですが、3〜4台の車が橋を渡って行きます。
私のほかには約2名おじいちゃんペアとすれ違いました。
1台の車からおばさんたちがゾロゾロおりてきて橋の下を覗いています。
私も下を覗いてみました。素朴な疑問、橋の下の田んぼは誰の土地?

山手のゴルフ練習場
ネットが無い!
標識には
十和田湖 上向
と書いてある
ここは北・南曙のテッペン
樹海ラインです。
チョット見にくいけど
標識の矢印が上向です。
画像中央が
アカシア大橋です。
アカシア大橋です。
下を流れる川は
荒川だったんですね。
この影は橋です。
ひょっとして
七滝が注ぎ込む川の
延長が荒川なんですか?
上向からの川と
加倉ダムの川と合流する
と荒川になるのですね。
ウォーキングしているAさん
と偶然会い
一緒に歩くことにしました。
菅江真澄が来たそうです。
ここは何神社?
鴇神社かしら
鳥越神社?

行ってみよう!
橋を渡るとそこは
上向でした。
左は鴇        
    右は牛馬長根
四つ角に何かある!
神社だ。
高寺神社です。
こんな所にあったとは知りませんでした。
この奥から階段の急斜面を登ると高寺山山頂です。
 
紅葉が綺麗な小道を
いったん下ります。
そして、また軽く登ると。。
階段です。
落ち葉が綺麗です。
栗の木、実はないけど。
思ったよりずっと立派!

鴇に行くときのアップダウンが無くなった分とっても楽です。
高寺山のなんと近くなったことか・・・びっくり 歩いてもたいしたことない。
これからここは私の1時間ウォーキングコースだな。
明日の朝も試してみよう! (あまり本気にしないでください。言ってみただけ!)

思わぬ所で連れが出来たので、Aさんにお願いして
朝日が丘・煙見山コースを付き合ってもらうことにしました。

チョットだけ説明しますが朝日が丘にはかつてたくさんの人たちが住んでいました。
昭和33年発見された内ノ岱鉱山の従業員用社宅として
昭和30年代後半に建てられました。私が小学校3年生の時
同級生のお誕生会に招待されて遊びに行った記憶があります。
昭和40年頃
ペチカがあって冬はとっても暖かい!当時最先端の集合住宅です。
隙間風だらけの家と違って羨ましかったなぁ。
お給料も破格に高く高度成長期とあいまって競い合うように贅沢をしていたとか・・・。
そんな栄華を誇った朝日が丘団地ですが、
内ノ岱鉱山の閉鉱による合理化などで10年以上
もっとかな誰も住んでいません。
取り壊すのにも経費がかかるためゴーストタウン化していました。

天気がいいから一人で行こうと思っていたのですが、社宅内で白骨死体があったとか
自殺者がいたとか、色々聞き及んでいるので、正直チョット怖かった。
Aさんも他の人から朝日ヶ丘には行くなと言われているらしく相当気持ち悪がっていました。
道々、Aさんは「誰かに引っ張られたらどうする?」なんて言うんですよ、
「そりゃ、小学生の話だよ!こんなに大きくて重かったら引っ張れないって!」って私。
「華奢な男の人だったら逆に引張って行ったりして」ってAさん
「ありうるかも」って・・・Aさんひどい

2人なら絶対大丈夫だと 私は強気です

内ノ岱を背にして
朝日ヶ丘へ向かいます。
タナックスの工事事務所が
有り思ったより道がいい!
左に入る道の2つ目
大分壊したんですね。
ぜんぜん見えてこない。
もうすぐイロハ住宅に
降る道だよ。
ありました。右は元同友跡、左は公園だった。
この先には社宅残っています。
私達がおしゃべりをしながら歩いていったら
ガタンと音がしました。
ブリキ缶を蹴ったような結構大きい音です。


一人だったらここで引き返していますが
大丈夫・2人だもん。

携帯持ってきたし!
ってなんに使うんでしょうか?
不審者には有効でも
お化けや幽霊には効果ないでしょ!

小坂の警察は29−2119だったっけ
などと心の中で復唱しながら進みました。

この先がどうなっているかというと、道はちゃんと刈り払われていていい状態です。
アカシアが茂って社宅には入れないです。無理をすれば入れるでしょうが・・・。

ここがどん詰まりです。
左折すると1周できます。
ところどころで、
土を盛っています。
時間がかかりそうなので
山には登りませんでした。
ペチカの煙突が
見えるけど社宅は木に隠れて
見えません。
これがイロハ住宅に
下りる坂です。

余談ですが、帰りにもガンって音がしました。
ここに誰か住んでいるのは確定でしょう。入ってくるなの合図ですね。

もういいですか?興味ない?
でもこの後イロハ住宅に行きましたからチョット見てください。
ここは鉱山の社宅から町営住宅に変更になりました。

樹海ラインの路線変更で、引っかかった南曙の8世帯の方達が引っ越してきました。
見晴らしが良く日当たり最高。かなり手をかけて直したらしくいい感じですよ。

2棟しかないのは10年位前の土砂崩れで一番奥のハ号を取り壊したからです。

ハ住宅があった所です。
広々しています。
イとロです。 これがイです。
4世帯です。
この下にログハウスが
あります。追突事故があり警察管がいました。



この紅葉綺麗ですね。
ここは、貴賓館跡地周辺
跡形もないけど・・・。




鉱山の単身赴任役職の
寮 無心居です。

ついでに御紹介しましょう。

山手から降りてくると空き地が・・・。
村木商店さん跡地です。今月壊しました。
私の家から銀山町ですがここは鉱山の敷地内感覚の為
土地の売買は行われていません。すべて借地です。
それにひきかえ尾樽部は自分の土地だったり
借地だったり色々複雑です。
私のうちは川のうえにあり
建築法違反だそうです。でも明治時代に
建てられた家だからなあ・・・相当古いし・・・。

でも大工さん曰く、私が死ぬまで大丈夫だそうです。

いつか私の家もサラ地になるのかと思うと
感慨もひとしおです。