作者 蓮阿
      

蓮阿(れんな。寛政9年〜明治3年8月24日)


秋田市。西善寺(真宗東本願寺派)十八世静恵二男。僧名静存、字宜然、別号静思軒。文化十二年、十九歳で上京、高倉学寮に入って本宗の法相を修め、頭角を現して寮司に挙げられる。大田垣蓮月に歌を学び西四辻公業、高松保実らの堂上方とも親交があった。蓮月からは粟田焼も学び、多くの逸晶があったといわれる。また、秋田名産蕗刷りの祖とも伝えられる。
維新後は教導職として小野崎通亮らと〈廃仏製釈〉を指導したこともあるというが、晩年は境内に庵を結んで独居し、仏法を説き歌を教える悠々自適の余生を送り吉川忠行、村井政直とともに秋田の三歌聖と仰がれた。七十四歳。没後、遺言により衣鉢の余資をもって本山の学寮に大蔵教が献上された。墓秋田市西善寺。ほかに、歌の門人だった石川理紀之助が追善供養のために分骨建立した墓が、南秋田郡昭和町山田にある◇『西善寺誌』[笹]

参考書籍  秋田人名大辞典 秋田魁新聞社より