高橋晁山(ちょうざん。嘉永5年〜大正11年1月6日)
秋田市生まれ。秋田藩士。名は盛貞。父が琢斎。晁山は文晁の絵を学び、その二子をとって号とした。円山派の色が濃い。 ほかに山水や滝の絵も残っている。没したのは東京本郷根津宮永町で、東京板橋区志村二丁目総泉寺(もと浅草橋場)に墓がある。晁山と同じころ、嘉永元年生まれの画人が、中山月樵。秋田市の人で本名甚五郎、播磨の柴田雪樵に南画を学んでいる