作者 庄司穂軒
      

庄司穂軒(文久3年〜昭和21年9月28日)


日本画。庄司香渓の二男として、北秋田郡阿仁前田(森吉町)に生まれた。明治十二年、十七歳のとき、庄司ぎんぷう(香渓弟)の養子となった。
本名信一郎。幼時から、絵を好み、秋田市に出て加藤某の家塾に入り、数年和学漢学を学んでいる。初め竹堂と号して、庄司家に食客としてきていた平福穂庵に絵を習った。四条派の花烏人物が得意だった。明治二十三年ごろ、穂庵から一字もらって穂軒と号すようになった。日露戦争時代は、前田の村長を務めていたが、四十年ころから絵に没頭し、好んで鯉の図を描いている。趣味は釣りで阿仁川の清流に糸をたれるのを楽しみにしていた。ほかに尺八、纂刻、すずり作りなどもよくし、酒は飲まなかった。子の大真も日本画家で、人物を得意とした。能代市桧山の河田駒雄(明治33年〜平成3年1月24日)は、未皓の号を持って、穂軒門である

参考書籍  秋田人名大辞典 秋田魁新聞社より