作者 島田五空
      

島田五空(明治8年4月1日〜昭和3年12月26日)


能代市。俳人。本名長治郎、のち父の豊三郎の名を継ぐ。渟城小学校高等科に学ぶかたわら嘉藤田顕資らについて漢学を修める。生家は米屋だったが、渟城小卒後、本家の島田治右衛門方に奉公、商売の勉強をする。生来の勉強好きで寸暇を惜しんで読書に励み、和歌、俳句、漢詩などを手がけ、ついには文芸仲間たちと作品発表のため印刷業を企画、明治二十七年、十九歳のとき自宅で能代活版所を開業した。また、同年、治右衛門家の蔵書を中心に一万数千冊で私立能代図書館を設立、館長になる。印刷所では翌二十八年、能代の商況報道を柱にした「能代商報」さらに「北羽新報」と改題、現在に続いてい名。
周囲には文学青年が続々と集まり、明治三十年、有志と図って北斗吟社を創立、このころ石井露月に師事、高浜虚子と知り合い、佐藤紅緑の知遇も得た。正岡子規の「ホトトギス」創刊と同じ同三十二年、俳誌「北斗」を発行、その翌年露月と「俳星」を出した。「俳星」は日本派俳句の東北での拠点ともいえる存在となり、現在に引き継がれている。
このような多彩な文化活動に身をていする一方、明治三十六年、郡議、翌三十七年には町議に当選、さらに憲政全系県議も務め、大正十年の衆院補選では国政への参加も志したが、三浦権兵衛に敗れて果たさなかった。また、大正八年、能代製板職工組合の創立の折には推されて初代組合長になっている。墓は本澄寺。研真院五空日徹居士。雅号は初め香車、のち唐空。これは子規から〃孫悟空"と揶揄(やゆ)されたため吾空と変え、以後呉空、五工とつづき大正十三年四月号の「雲雌」から五空となり最後まで用いる。別号北斗、山頭火、十方庵。鷹祭書屋。

参考書籍  秋田人名大辞典 秋田魁新聞社より