長井金風(明治元年-月20日-大正15年8月23日)
大館市。本名行(あきら)別号迂行、革堂、家は士族。十三歳で東大で社会学を専攻していた兄為之助をたよって上京、。中村敬宇に師事。兄が二十五歳の若さで死去したのと予備門に在学中学資が続かなくなったので大学には進まず、起文館で代用教師をしながら独学を続けた。明治二十二年秋田魁新報の編集人、翌年東京に戻りアジア旅行。帰国後、備後日報、二六新報などの主筆となり、民権運動にも投じた。また外語大、仏教大の講師も務めた。日本文学の研究にも熱心で万葉集、古今集などに多くの著書を残している。明治四十三年秋田県庁に招かれ県史の編集にとりかかり三年間資料を収集したが未完に終わった。大正九年、中国に渡り経学院を設立した。歌人、漢詩人でもある。遺著、遺稿、遺墨は日本近代文学館に「金風文庫」として収蔵されている。墓玉林寺。静観院体露金風居士◇秋田の先覚A。『続々秋田人物風土記』昭和書院・昭48年5月
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