無等(安永8年-慶応元年2月25日)
大館市。浄応寺十一世住職。漢詩家、書家。号忘筌庵。書は無幻流。
秋田の根本果堂、横手の戸村後草園、戸村杉陵とともに秋田藩の四大家といわれる。点茶、生け花にも通じ、酒田市大信寺の耕月に玉川遠州流の茶を教え、酒田地方に同流を広めた(酒田豆本『不老庵茶話』)。
浄応寺は第三世玄正の時法橋の位にあったが無等十五歳の時返上。由緒のある寺のうえに住職の無等が書画詩にすぐれていたので中央の名士が大館に来るごとに泊まった。秋田の玉川遠州流は文化十五年大森宗震来藩の時ひろまり、無等は横手の皆乗院公道と共に習った。著に『忘筌庵遺庵藁』◇吉沢郁二『秋田に於ける茶道玉川遠州流』昭和39。「手紙」(賀藤月蓬宛)県公文書館東山文庫
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