作者 藤盛江岸
      

藤盛江岸(享保2年〜明治2年1月10日)


日本画。別号芦月、陸曜。大館市花岡の名家、鳥潟一族に生まれた。金助の長男である。本名永助、徳右衛門。長じて姉の養子になり藤盛姓を名乗り、さらにそこを離れて四十四歳で大館市大町の伊藤徳右衛門家に入籍したが、画号は藤盛姓をとっている。十四歳で江戸や京都で修業。文晁の弟子の清水曲河(江戸・文政2年5月、73歳で没)に就いて学んだ。県内に遺作多く、文晁派というより四条円山派に近いダイナミックな絵が残されている。墓は大館市浄応寺。
門下に大館の金山(小坂)虎雪(嘉永3〜明治30)がいる。旧姓丸岡。本名虎三郎。澹斎、嘯月堂の別号がある◇秋田書画人伝。宮野吉松「藤盛江岸略伝」「花岡郷土誌」昭和13年12月

参考書籍  秋田人名大辞典 秋田魁新聞社より