江堵澹園(天保13年〜明治42年12月15日)
大館市裏町生まれ。名は運蔵のち通静、字は子遠、浩園、寧静楼、樗廼舎、良和、孝斎、如月庵と号した漢詩人で歌人、新聞記者でもある。
師は大沼枕山。父晩香(通寛)は歌人、漢詩人。明治九年遐邇新聞に入社して秋田市に移住。同十一年三十五歳のとき、大館の先輩狩野旭峰の推薦で秋田遐邇新聞の編集長となった。秋田遐邇には五年ほどいてその後秋田日日新聞に招かれて雑報主任となった。新聞人としても大いに健筆をふるったが、秋田第一の歌人とされ、寧静吟社を設立した。また雑誌出版などで地方文化の興隆につくした功績も大きく小説を主体とした「羽陰小誌」、小学児童向けの「二葉新誌」、軟文の「ころころ雑誌」、弟通理と歌集「款冬乃加吉葉」(ふきのかきつは。三集まで)の編集者として活躍した。自得院澹園逍遙居士。墓は秋田市宝性寺。六十八歳没
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