相川善一郎(明治26年12月23日〜昭和61年1月13日)
彫刻。鹿角市花輪生まれ。大工の棟梁善次郎長男。花輪小卒後、父について修業。東京美校二年朝倉文夫が、仁礼海軍中将銅像作製に応募し、一位入賞した新聞記事を読んで感動、「春寒や血書になんと返すべき」の血書と共に入門希望書を送る。「愚生未だ身辺煩雑、向後二年程猶予ありたし」の返事を受け、二年後の明治四十四年九月十三日上京の旅に出て、書生となる。大正十二年東京美術学校卒。文展、帝展に十三回入選。昭和十六年に日本美術展無鑑査。神戸市湊川神社「後醍醐天皇像」のほか仏像が多く、花輪駅前の「声良鶏」大館駅前の「秋田犬」(戦前のは安藤照の作)銅像も代表作である。また自宅に陶芸教室も開き、花輪史談会を結成するなど、地域文化活動に貢献したとして、五十年に県文化功労章。『相川善一郎作品集』(相川先生を囲む会。昭和59年5月1日)
◇魁・昭和56年2月1日朝刊。『秋田書画人伝』
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