作者 安藤歯舟
      

安藤歯舟(ろしゅう。元治元年8月〜昭和17年12月2日)


明治末から昭和初めまで、県内に指導力を持った俳人。本名富次。岩城町亀田愛宕下生まれ。亀田藩士安藤庄之助の長男。明治十三年、地元の漢学者で俳人だった吉田倶之(俳号陽芝)に学び、十六年秋田師範小学師範学科卒。かたわら亀田の佐藤憲欽に漢学を学んでいた。新波、亀田、八森、一日市、鷹巣、川口、二井田、沢口、米内沢、早口、横堀(仙北郡)豊川、朝日各小学校に勤めた。大正十二年三月、四十年の教員生活をやめ、好きな俳句の道に励む。昭和初め秋田魁新報社に勤め、魁俳壇選者。七年四月、俳誌「潮」を発行した時は、県内から二十八結社、二百八十四人の俳人が参加した。この雑誌は十三年七月終刊する。昭和八年十月十七日、秋田市路草吟社の発起で、金照寺山に、
露走る月下の花の皆白く
の句碑が建った。文徳院教禅歯舟居士、墓亀田太平寺。句集に『潮』(小笠原洋々編、安藤五郎刊、昭和28年3月25日)がある。

参考書籍  秋田人名大辞典 秋田魁新聞社より