花輪ばやし
平成28年12月1日ユネスコ無形文化遺産登録 国指定重要無形民俗文化財



花輪ばやしは、土地の守り神「産土神(うぶすな)さん」として古くから地域の信仰を集める、幸(さきわい)稲荷神社の祭礼において奉納される祭礼ばやしです。
1960年(昭和35年)からは、花輪神明社の祭礼が幸稲荷神社の祭礼と同じ日に合わせて行われるようになり、里の神(花輪神明社)が山からの神(幸稲荷神社)を迎えるという新たな祭りの意味が生まれました。
8月16日、幸稲荷神社の御神体は里宮の御旅所に渡御して20日に還御しますが、8月19日から20日に10町内から奏でられる花輪ばやしが花輪の町に響き渡ります。(花輪ばやし公式HPより)

花輪ばやし 公式サイト



毛馬内盆踊り
国指定重要無形民俗文化財



「毛馬内の盆踊」は、情緒豊かで優雅な盆踊りとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。8月21日から23日まで、町内路上に篝火を焚き、その周りに細長い輪となり、踊りが行われる。
呼び太鼓(高屋、大拍子、七拍子の3曲)の後、大の坂踊り、甚句踊りの順で踊る。大の坂踊りには笛と大太鼓の囃子が付く。
大の坂は、明暦3年(1657)に桜庭光秀が毛馬内に移封した頃、すでに継承されていたとする説、また、京都の念仏踊りの流れを汲むという説もあるが定かではない。昭和初期までは唄が付随していたが唄い手が途絶えた。

この地方の大太鼓は、南部藩時代に戦いの武器であった「軍馬」の生産に力を注ぎ、南部馬の産地として知られ、他藩への馬の売買が非常に厳しく、特殊な管理体制があったので、この地方特有の馬皮製の大太鼓で、音に張りのある大太鼓が作られたのである。
永禄8年(1565)から11年(1568)にかけて秋田近季が鹿角に攻め入り、南部信直が三戸から出陣、近季勢を領外に駆逐した。その折り、毛馬内で遊興踊りを催し、将卒の労をねぎらったのが甚句踊りの起源とされているが定かでない。唄詞には霊を慰めるもの、豊作を祝うもの、郷土の風物を紹介するものなどが多い。
踊り手の衣装は一般に男は紋付き等に水色の蹴出し、女は襦袢に鴇色の蹴出しが標準だが、近年になって江戸褄、訪問着、小紋を用いるようになった。

毛馬内盆踊り 公式サイト



大日堂舞楽
平成21年ユネスコ無形文化遺産に登録 国指定重要無形民俗文化財



大日堂舞楽は小豆沢に鎮座する大日霊貴(おおひるめむち)神社が正月2日に行う祭典に奉納されるものです。 1200年の伝統を守り続けるこの舞楽に参加する能人は大里、谷内、小豆沢、長嶺の四地区の氏子35人です。
能衆は、当日に備えて約1カ月斎戒沐浴(さいかいもくよく)して身を清めます。元旦の丑の刻から耕作祝いが各地区で行われ、2日の夜明けに行列を組み、凍りつく雪道を高張提灯、太鼓、笛、弊束、ササラ、鼓を持って大日堂に集まります。

最初に、堂前で神子(みこ)舞、神名手(かなて)舞、権現舞を披露。この後堂内に入り、二間四方の舞台で権現舞、駒舞、鳥遍(うへん)舞、鳥舞、五大尊舞などの本舞が古式ゆかしく奉納されます。

大日堂舞楽 公式サイト



大湯大太鼓
秋田県無形民俗文化財



大湯城再建の日が8月19日であり、時あたかも出穂の出そろう時期に当たることからお盆にちなんで、五穀豊穰の喜びと先祖の供養をかね、毎年8月15日に、大湯大太鼓の保存と技術の向上を目的に、「大湯大太鼓まつり」を開催しております。

鹿角の里は古くより青垣山をめぐらし、金山をはじめ温泉など大地の豊かな恵を受けた住み良い土地でありましたが、それが南北朝時代そして戦国時代を通しての戦乱のちまたと化しておりました。特に戦国末期には秋田安東、南部両軍の攻防が激しく鹿角の南方面は安東方に攻略され、あわや全面占領の危機にさらされたので、それを乗り切るため鹿倉城主大湯四郎左エ衛門昌次は南部方の戦陣に立って、太鼓、法螺貝、鐘等を打ち鳴らさせ士気を高揚して攻勢に転じたのでようやく死地を脱することができました。そこで大湯の村人達は凱旋の将卒の労を唄や踊り、笛、太鼓でねぎらった事が起こりとされております。
その後鹿倉城は天正19年豊臣秀吉の天下統一の九戸征伐に巻き込まれ、九戸方に味方したので三戸南部方の攻略、激戦連日の末落城しており、彼我攻防の戦いに多くの屍が野末にさらされたままになっていたとのことです。それから村人達は、毎年のお盆には戦塵に散った霊魂を供養太鼓でもって、ひそかに追憶の祈りをしておったと伝えられております。



松館天満宮三台山獅子大権現舞
県指定無形民俗文化財



正安2年(1300、また治安2年(1022)とも)、京都北野天満宮から天満大自在綱乗天神宮(ご祭神菅原道真公)を勧請して崇め、村中が万歳楽を唱えて舞い納めたのが起源とされている。その後大正時代の前後、一時途絶えつつあったが、昭和12年に現在のような舞楽として再興された。
この舞は、毎年4月25日の松舘菅原神社例祭の際に奉納される。当日午前、同神社の氏子である舞人・楽人は、ほかの氏子たちとともに宮司宅から神社までの参進及び退下のとき「渡御」の行列を組み、神社での祭式の後、境内において次の舞を順次奉納する。

1 御幣舞(舞処などを清浄にする)
2 地舞(地の神を鎮め奉る)
3 榊舞(神霊を仰ぐ)
4 青柳舞(お湯立ての火を燃え立たせる)
5 扇舞(火が盛んに燃えていることを祝う)
6 剣舞(身を研ぎ清める)
7 権現舞(片手で獅子頭を高く挙げ、歯を打ち鳴らして舞い回す舞で、尾絡み役は、獅子頭の回転に連動して絡みを行う。舞には、ほかに拝みの舞や四方固めの舞いなどがある)この権現舞には、「御神歌」が謡われる。
8 お湯立て神事(大釜一杯に湯を沸き騰たせ、その湯を掻き回して稲の作占い)
9 湯浴み神事(笹の葉を熱湯に浸して、自ら及び衆生に振り撒ける)
10 獅子権現の霊力授与(獅子頭で参拝中の幼稚園児や氏子などの頭部をかむ)  舞人や楽人は、山伏(修験者)の修行の姿、即ち白装束を着用する。曲目は、渡御のときは、「渡御の曲」、権現舞などの舞のときは「権現舞の曲」、湯立神事のときは「お湯立ての曲」が奏でられる。  なお近年は、10月25日の同神社の秋季例祭のとき、権現舞のみが奉納されている。
(鹿角市HPより)

松館天満宮三台山獅子大権現舞 紹介サイト



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