荻 窪 便 り

 
   


 
   
ボッチチェルリ 「聖アウグスティヌスの幻視」

20年前の新聞よりコピー。原画はもっと明るい。
フィレンツェのウフィツィ美術館所蔵。


 


   
目 次

 
   
はじめに
5.30 創刊号
6.16 第2号
ふたたび病院の窓から
6.30 第3号
みなさん、お変わりございませんか?
退院のお知らせ
7. 5 第4号
7.20 第5号
7.28 第6号
 






      はじめに


 「荻窪便り」は友人達に送ったメールです。病院の待合い室からISDNの電話回線を使用して送りました。8階の病室から、鉄の酸素ボンベを引きずり、そのうえに重いノート型パソコンの入った鞄を持って歩くのは、実に辛いものがありました。また、病室のなかでは携帯電話やパソコンは禁止なので、迷惑もかけました。婦長さん、ごめんなさい。
 去年の夏以来、都立広尾病院にお世話になっているのですが、この場をお借りして、主治医の先生をはじめ、看護婦さん、事務局の方など、多くの人達のあたたかい援助に、心からお礼申し上げます。

 荻窪に住むようになってから、ほぼ二十年になります。天沼陸橋を降りたところに、長谷川弥次郎さんのお宅があり、そこの庭の離れに十年ほどお世話になりました。年を経るごとに、いただいた親切が身にしみてまいります。四季折々の花が満ちていた庭。そこだけが、不思議と澄んだ風が流れていたようです。

 現在は、善福寺川のすぐそばに住んでおります。気がついてみると、今までの人生の半分近くを荻窪で暮らしているのですね。もともと脊髄に難があったわたしは、肺炎で呼吸器障害も得てしまいましたが、パソコンとの出会いにより、新しい生活を始めつつあります。「荻窪便り」はそのスタートというわけです。


 




      創刊号


あれから一年、たいしたこともなく無事過ぎました。皆様には心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 さて、だいぶ暑くなってまいりました。これからの4カ月は特に体調に気を付けなくてはなりません。どこかいい避暑地へ、などと言いたいところですが、そこは貧乏人。食べることと、眠ることに気配りして、乗り切りましょう。



 まずはパソコン その1

 朝目が覚めるとまずパソコンのスイッチへ。それから炭酸ガスの充満した頭を横にして、しばらくぼんやり。星雲の晴れ間がちらと覗いたら、お湯を沸かす。トイレでぼんやり。ダイニングでぼんやり。机でぼんやり。ベッドでぼんやり。午前中はまず使いものにならない。その午前中をパソコンの学習にあてているのだから、いやはや困ったものです。LC2が遅いのか、ぼくが遅いのか分からなくなること暫し。まあ、楽しいことは事実。時の経つのが実にはやくて困ります。


  油断大敵雨霰

 免許取得3年。このころが一番危ないと言われる。けっこう飛ばしますね、みなさん。ひやっとしたことも何度かあるでしょう?クウ-、ク、ク、ク!(泣いているのです)。他人事に思っていたことがわが身に降りかかるとは、アン・ビリ−ヴァブル!新宿でパワ−ブックを買った帰り道、愛車は接触により全治一週間。わたしは幸運にも無事でした。早く帰りたくても、すごく疲れていても、事故に遭うよりはましです。皆さん、安全運転で平穏な日々を送ってくださいね。



  まずはパソコン その2

 先週柴ちゃんが遊びにきた。ぼくが最近パソコンにのめり込んでいる話をすると、なんと、車からやおら「林檎」を出してきた。おっと、パワ-ブック550Cではないか。なに?TFTとな?くそ、自慢するない!え、コプロつき?それはお袋の小型版のことかい。まったくうるさいやっちゃ。ベンツでゆうたら190Eと500SLの違いでっせ。あほか、わしは失業中じゃけんこれで十分なのだ。
 しかし190CSは気分がいい。ぼくはすごく気に入っているのです。メモリ-も24Mにしてあるのです。これでベッドの上でもOK。パソ通もインタ-ネットもばっちりよ。

 




      第2号


  病院の窓から

 静かに目を閉じると微かな光の世界にいる。こどもの頃から不思議でしょうがなかったが、瞼の裏に果てしなくひろがるこの空間は何なのだろう。暗黒の宇宙を垣間みているのか。あるいは、身体組織の状態を示すレーダー的存在なのか。さもなくば、脳細胞の発する微かな光の集合体であり、イマ-ジュの源泉なのか、等々。
 暫くぼんやりしていると、目を開けているのか閉じているのか分からなくなるよね。暗い水面にどんな液晶板よりも鮮明に映像が浮かぶ。まあ、横になって見たいときには目を閉じればいいのだから、最高のスクリ-ンであり、モニタ-であることは間違いない。



  Ventilatory Support System

 BiPAP S/Tは人工呼吸器の一種である。ぼくの場合は血中のCO2濃度が高すぎるので、睡眠中にV.S.Sを使用することで肺の換気機能を改善し、CO2の数値を低くできないかというのである。鼻をすっぽりマスクで覆い、0.5Lの酸素と一緒に空気を押し込む。胸が多少押し広げられるかしら。でも呼吸のタイミングの合わないときもある。モ-タ-の音はさほどではないが、マスクについている管の先から出る排気音が騒々しい。かえって不眠になっちまう。しかも喉が乾いてしかたがない。両隣の鼾対策の耳栓が役に立った。
 むかし読んだG・ビュフナーの散文に、潜水用眼鏡をつけた男が地上を徘徊するくだりがあったが、そのうち、酸素ボンベを背負った男が街に出現するかもしれない。



  風が鳴る丘

 いつの間にこんなに雑草が。これでは向こうに行くことができないではないか。片側は河とおぼしき水面、反対側は背たけ以上もある雑草の山。葉に触れるとトタンのように堅い。馬鹿野郎、いくら俺の名前が「柊」とはいえ、やりすぎだ。戻るか、方向を変えるか。振り返ってもすでに道はないし。
 空は微熱があるのか、薄い朱色のヴエ-ルをかけている。
 汗がじっとり滲む。額、首根っこ、脇の下、背中、そして鼻の下。暑いのかなと下着だけになれば、今度はひんやりしすぎて気持ち悪い。ああん。うつ伏せの快感をおくれよ。背中を優しく拭いとくれ。(勿論、自分で拭く)。
 きょうは一日風が鳴いている。病室は8階だから、小高い丘のように町を一望できるのさ。これで、ベンチでぼんやり道行く人を眺められていたらグ-なんだけど。眼薬用、かつ精気充填剤としては女性が最高なんだが、残念。

 




      ふたたび病院の窓から


 "こうして人々は生きるためにこの都会へ集まって来るのだが、僕にはそれがここで死ぬためのように考えられる"

 「マルテの手記」はこのように始まる。
 ぼくはこの文庫本を持ってきたことを後悔している。首筋に重い鉄杭が打ち込まれ、上半身がゆーらり揺れてくる。ベットに横たわると自然に窓を求めた。部屋の一面は窓というパノラマ。かといって、風景を描写するほどの趣味はない。
 なぜこの文庫本がここにあるのか、訳はこうだ。
 荻窪の部屋の近くに小さな包丁所がある。ある晩、偶然隣り合わせた少年がその日二十歳になったばかりと、首をコクンとするのさ。ぼくはね、ハ、タ、チ、という言葉によわいのです。だから、彼に一冊の本を贈ることにしたんだ。ポール・ニザンの「アデン・アラビア」を。


     あまりにも有名な冒頭の一節は言わないよ

 ところがだ、約束した本がどこを探してもない。あんまり疲れちまったので、ランボウの「地獄の季節」とリルケの「マルテの手記」の2冊購入し、包丁所にあづけた。
 少年が読んだかどうかは知らない。
 僕の二十歳。1/4世紀も前のことと言うなかれ。いまもあの頃と同じように血は熱く輝いているのです。
 「マルテの手記」は懐かしくて僕の分も買って置いた。ところがだ。どうだろう、最初の頁で打ちのめされてしまった。もう先を読みたくない。どこか区切りのいい所はないかと探していたら、ありましたね、2頁目の半ばに。

 "大切なことは、生きていることであった。それがなによりも大切なことであった"
 




      第3号


  動悸の原因

 動悸が一週間つづいている。看護婦も代わる代わり理由を聞いていくが、こちとらも原因が分かれば苦労しない。同じことを聞かれていると、終いにはイライラが昂じてきてぷっつんしそうになってくる。そういう訳で、きょう一日はあまりお喋りをせず、静かに横になっていることにした。
 朝、血圧が多少高い。普段75〜115位だから、今朝の90〜140は今まであまり聞いたことがないのだが、看護婦は次のように答えて取り合わない。
「お年も45歳なのですから、これが普通ですよ」。
 馬鹿野郎、くだらぬ慰め言うんじゃないよ。 
 冷静に動悸の原因を考えてみると、あらゆることが結びついてくるので、えーい、これはきっと恋煩いなのだ、と思いこむことにした。そうしないとどんどん深みにはまり、終いには身動きがとれなくなる予感がする。
 したがって、看護婦がたずねるたびに、
 「そういえば、昔何度かおんなじ経験をしたことがある。もしかしたら、恋煩いではないかしら」。
 それを聞くと彼女たちは顔を輝かして、やさしい物腰になる。
 こ、れ、だ!
 暫くは、これにスパイスをかけて、ちびりちびり提供しよう。
 やれやれ、看護婦も辛いね。こんなあほ患者を相手にしなくてはならないのだからね。ご同情申し上げます。



  耳鼻科

 息苦しさを感じたときはいつも鼻が詰まっている。また、花粉症と似て鼻腔がむず痒く、ぎんぎんする。鼻孔から洗浄剤を流し込んでもらい、眼孔の奥から脳髄まで洗い清めて貰いたいくらいだ。ぼくの訴えが弱いのか、はなから(しゃれではない!)相手にしてもらえないのか。一言、鼻の骨がちょっと曲がっているにすぎないんですのよ。たいしたことないですね。はい、お薬だしておきましょう。くそばばあ。シ、ツ、レ、イ。
 あれから一週間経ったが、なんの変化もない。

 




      みなさん、お変わりございませんか?


 ぼくはまたまた入院が延びそうです。
 2週間の予定だったのに、いつになるのやら。主治医に聞いてもわからない。
 まあ、沖縄の陽子ちゃんじゃないけど、負けないぞ!

 これから暑くなります。
 うまい水。うまい飯。きもちよか眠り。
 きれのよい便。もうひとつ、できればよかおなご。
 いい汗かいてください。


 「荻窪便り」臨時号として、最近の小品を載せました。
 感想などいただけたら幸いです。

 




      退院のお知らせ


  7月5日に退院します

 人工呼吸器(BiBAP S/T)のための検査入院でしたが、実際はかなりきついものでした。
 以前も感じたことですが、病院は凹面鏡のようなものですね。ある一点に、あらゆる世界が焼き付けられる。意識しなければ、たんなる風のようにすぎ、直視すればどこまでも見えてくる。戦場であり、避難所であり、難破船であり、砂漠であり、また、命の水を与えてくれる宿でもある。
 広尾病院にとってこの器械は初めてのケbスなので、申請から都の認可まで、実に気の遠くなる手続きが必要なのです。導入が決まれば、また再入院の可能性が大きい。
 まあ、重い話ばかりで申し訳ないが、よろしくね。
 いい方向に変えていくのも自分の意志なのだから。

 おお、デイランよ。
 広尾の丘で歌うあなたの姿は、今でもぼくを勇気づけてくれた。

 ありがとう。

 




      第4号


  退院の日は雨

 昨日の午後、荻窪に帰ってきた。
 最初にしたことは、まず、横になる場所の確保である。三週間も閉めっぱなしにしていたのだから、ごみ虫もいるに違いない。掃除機を引きずり、ベッドの回りを掃除する。ひと押し、ひと休み。ふた押し、ふた休み。あーあ、疲れちまった。上野さん、助けてくれい!(彼は翌日、つまり、きょうの午前中いっぱい頑張ってくれたのです)。
 さて、念願の横になることができた。が、暫くすると、頭が何かとほうもなく大きな回転皿の上に落ちてしまった具合に、ぐうるり動き始める。この部屋に不在の三週間という、時間のうえに刻まれた溝を、ゆっくり確認しているのかしら。行きつ、戻りつしている。
 どのような時間であったのかは、これからをどう生きるかによるだろう。



  エルちゃん、だいすき

 エルちゃん、お願い、ごはんに行かせて。
 一枚のphotoに何時間もかかるなんて、どうして?ごめん、ごめん、一生懸命がんばっているんだったね。ぼくが悪かった。待ちます。どうぞ、気にしないで。だいたい無理な仕事をきみにやらせているのがいけないのだから。
 てな具合に、今日もなるのですね。
「 怒らないで。え?最近190といつも一緒だって」?
「 んなこと言ったって、ちゃんとおさわりしているだろ」。
「 え?それだけじゃいやだって」?
 エルちゃんことLC2は、ぼくの初めての禁断の女性なのです。最近、小柄で、ぷりぷり娘がそばにいるのが、どうも気にいらないらしい。これで、もし、ス-パ-レデイが加わったらどうなるのでしょう。
 大丈夫。離しはしないよ。きみがいるから、こうやっていけるのさ。
 (こうしている間も、エルちゃんは眼を白黒させながら、photo shopを動かし続けているのです)。

 好きだよ、エルちゃん。

 




      第5号


  ひさびさのLC2

 荻窪に帰って三日目の夜を迎える。まだ、病院の時間が流れているのか、自分の部屋にいても何か落ち着かない。気が付くと、ベッドのシーツにくるまってぼんやりしている。
 午前中はSTONESを2曲、COHENを1曲、DOORSを2曲聞いた。

 友人に電話した。相変わらず、やさしい声だ。
 このままシーツの皺と化さないうちに起きよう。昨日のように、ひどい頭痛がするわけでもないのだから。

 思い切って、午後から広尾に行くことにした。
 Kさんにフロッピーと鳥海山の植物写真集をわたしてきた。

 夜、ひさびさにLC2の電源を入れる。
 はい、初期設定。
 再起動。
 きれいだね、エルちゃんの顔。
 13インチの8等身美人だね。



  遠慮するなよ

 ここ3日間、瀕死の金魚でくちあんあん。ドクター、どこ?(しゃれにならないね)
辛い。動けない。痰を出すとき、戻しそうになる。
 ドクター、はやくメールちょうだい。
 昨晩、きょうの昼と、お袋に電話しちゃったし、大山にもさっきしたし、田口さんの留守電は入れたし、佐藤さんは会社にはもういないし、宮田さんは電話するにはあまりにも唐突すぎるし、ユウはまだ帰っていないだろうし。
 ばっきゃろう!甘えてんのかい。

 25年ぶりに、亡霊がでた。善福寺川に沿って、ふーらり、ふらり。やだね。大嫌いだ。そうは言うものの、汚レチマッタ哀シミニ、今日モ狐ノ皮ゴロモ、だっけ?

 急に電話が鳴る。
 大淵さんからだ。
「おい、勝手にパソコンの音を消すな」
「おれは音がないと、操作できないのだぞ」
「ところで、大丈夫か」
 お兄さま。苦しいのですよ。
「馬鹿、あまえてんじゃないよ」
 そう一喝してから、

「苦しいときは、遠慮するなよ」



  懲りるもんかい

 おれが今も一人でいるのは、女たちを大事にしなかったせいなのか?

 詩を書いていた色白のクラスメート。
 九州の薬局の娘。
 花のスケッチが上手だった画学生。
 高価な画集を売っぱらっちまった短大生。
 看護婦の彼女。(もし、彼女の娘が看護婦なら、おれは、どうする?)
 同棲した女。
 そして、彼女の友人。(一緒になるべきだったと、弟が嘆いたっけ)
 Marie,きみにはどうしても、もう一度会いたい。
 電車で知り合った一夜だけの演劇娘。(朝の交差点での別れ際の光、忘れない)
 最後に、酒好きの、白く、可憐な花よ。今頃、ゴロ寝豚になっていないだろうね?

 両手をかざしてみる。(馬鹿だね)
 だけど、お袋よ、おれは懺悔なんかしないよ。
 懲りるもんかい。



  祖母のことば

 幼い頃は、祖母のお話を炬燵で聞くのが好きだった。
 そのあとどうしたの、とせがむと、縫い針を髪のあいだでつんつんこすってから、また続きを語る。
 赤い口をした人喰い女や、針金のように硬い陰毛を持つ鬼が、どこまでも追いかけて来る。暗く、深い、山間の一本道。
 夢に出てきそうで、眠るまで、祖母の懐で丸くなっていたっけ。

 東京で暮らしはじめて、間もない頃であろうか。祖母がさびしそうに言ったことがある。
 ものを書くこと、それは、とても辛い仕事なのだよ、と。
(祖母は、そのまま、目を横にそらしながら黙してしまった)

 ぼくは、祖母のことばをどのように生きてきたのだろう。



  みなさま、お暑うございます

 わたくしめはまたまた広尾の丘におります。
 暫くの間、「荻窪便り」を休刊する予定でしたが、あんまし暇なので、5号を出すことにしました。ちょうど、カナダから玉恵ちゃんが一時帰国しておりますので、記念号にしましょう。
 むかし、彼女に言われました。
「ご自愛なさいませ」
 みなさまも、この夏を無事にのりこえてください。
 またね。

 




      第6号


 皆様いかがお過ごしですか?
 7月30日(火)に退院します。
 今は、一日でも早く病院から出たい心境です。勝手なものですね。
 まだまだ暑い日がつづくわけですが、負けてはいられません。
 みなさまも十分健康に留意して、夏をのりきってください。



  眠りネズミと炒り卵

 夕食はそぼろご飯である
 大きな黒い器に 三色ほどよく盛られてあり
 そばには ふた切れの西瓜が添えられている
 うん なかなかやりおるわい
 短くすべる箸には困るが などと
 感心したり ほざいたり
 ささやかなハルモニーを楽しんでいるとき
 不意に 親友の顔がふたつ浮かんだのだ
 この挽き肉は毛籐に似ているな
 桃色でんぶは記糸夫ちゃんだ
 では おれはさしずめ 炒り卵か

 アリスがいなくて困った テイーパーテー
 涼風が通り抜けていく 円卓の部屋は
 いまも三人のなかに
 三種類のグラスとともに存在する



  X線室のキュートなお嬢様

 重い、鉄の酸素ボンベをひきずりながら、エレベーターに向かう。
 なぜボンベはすべて黒いのか。色の指定とまではいかなくても、7色ぐらいは欲しいなあ。
 青島さん、いかめしい都庁舎のてっぺんから、一度シャボン玉でもとばしてみたらいかが?
 ぼくには、この黒い酸素ボンベが、「博士の異常な愛情」のワンシーンと結びついてしまう。
 病院の、夜の待合い室でダウンロード中に酸素がなくなり、息苦しさと焦燥感で、あの、atomic bombに跨った男になった気がしたことがある。
 だから、エレベーターは嫌いだ。
 (でも階段はもっと無理)

 地下室でX線写真を撮り終え、受け付けに声をかようと小窓を覗く。
 気のせいか、一点、キラッと七色に煌めく微笑みが見えたような気がする。目を凝らすと、どこかでお会いしたことがあるお嬢さんだ。ぼくに向かって、挨拶をしている。

 キュートな Classicが 、清潔な白衣を纏い、一生懸命お仕事をしているのでした。

 




   

Back Home