| |
第1章
001
出会い
002
引越し
003
家族の風景
004
劣等感
005
挫折
006
番外編(大臣の辞職)
007
転校生といじめ
008
番外編(精神科医が足りない)
009
五月病
010
番外編(20代・30代の人へ)
011
金の卵
012
猛烈サラリーマン
013
コーヒー・ブレイク(香水の話)
014
一目惚れ
015
結婚
016
番外編(本物とは)
017
新婚生活
018
同居
019
異変
020
コーヒー・ブレイク(マイペット)
021
初めての転勤
022
番外編(癌からの生還)
023
妻の葛藤
024
コーヒー・ブレイク(南青山アンティーク通り)
025
海外転勤
026
インド
027
日本とアラブ
028
帰国命令
029
コーヒーブレイク(ネットオークション) |
第1章
1.出会い
2006年5月、何かが導いてくれたような感覚でこのクリニックの門をたたいた。
私の場合は心の病の病圏ではないと思っている。
但し、それでも心療内科を受診することにしたのには理由がある。
福西先生との出会いの2年前までは仕事の関係で一時関西に住んでいた。
その間も患者というより相談相手という感じで、ある大学病院の精神科助教授の外来を受診していた。
社命により東京へ戻ることが決まり、最後に受診した時のその先生の言葉が今でも印象に残っている。
「Aさんの場合には、あまりにも抱えている問題が多すぎるので心配だ。心の病ではないけれど、相談相手として心療内科の専門医が必要だね。自分の知合いも東京にいるけれど、相性が合うかどうかがポイントなので東京に戻ってから自分で探した方が良いね。必要ならいつでも紹介状は書くから。」
なるほど。少しは反論したかったがそれができなかった・・・
先生はその後他の大学に移り今は教授になっている。
東京に戻ってからは年賀状のやりとり位のお付き合いしかないが、肩書き云々ではなく今でもその先生には感謝している。
アドバイスは適切であった。今にしてそう実感している。
さて、東京に戻り2名の精神科医に短期間お世話になった後、福西先生に出会うまで2名の精神科医と面談した。
しかし、何かが違う。うまく説明できないが・・・
これが、関西の先生が言われていた相性というものか?
昔読んだ本の中である精神科医がコメントしていた。3人の精神科医と面談したらそのうち1人とは相性が合う筈。いや、違うと思っても、立ち止まって考えるように。
そして、福西先生との運命的?な出会い。
診察室での先生の第一声を今でも覚えている。
「昭和〇〇年生じゃないの。僕と同じだね。」
先生の著書の1冊を読んでいた私は先生の生年月日を知っていたので、
「学年は先生が1年上の筈です。」と私。
そして、先生。
「ああそうか! 僕は早生まれだからね。ところで、どうしました?」
その質問には困った。
何からどう話したら良いか戸惑ってしまったのを覚えている。
内容ははっきり覚えていないが、なるべく簡潔にいくつかのことを説明した。
「それは大変だね。これから徐々にお聞きしましょう。」
先生との会話はそれだけであったが、どこか感覚的に近いものを感じた。
それから、早いもので3年近くが経過した。
今回、このような形で先生に私の希望を伝え雑文を掲載してもらうに至ったのは、先生の次の一言だった。
「Aさんほど精神的にタフで耐性の強い人はそういないと思いますが、Aさんもスーパーマンではなく人間だったんだなあという感じです。ほっとしました。」
私自身はどちからと言うとストレスに弱い方と思っていたので先生に再度確かめたところ、
「本当にそう思って驚いているからそう言っただけです。」
その時、急に自分の半生を振返りながら読んで下さる方に何かを伝えられるのではないか?
そして、無理かも知れないけれど、‘この世に必要とされていない人は誰もいない’という私の信念の共感者が1人でも得られるかも知れないと感じたのです。そう甘くはないと思いつつも。
どの位のペースで書けるか?そして、どこまで継続できるか判りませんが、福西先生から「もう結構」と引導を渡されるまで頑張りたいと思います。
どうか私の拙文を批評的にお読みいただければ望外の喜びです。 |
|